2022年3月8日火曜日

偏愛メモ 世紀末ヨーロッパの諸相 『反哲学入門』(木田元)P167より

eternityより移行
『反哲学入門』(木田元)P166-170

世紀末ヨーロッパの諸相

P169 ニュートン力学が、誰でも手軽に使えるようになった形でマニュアル化されて普及したのは意外に後になってからのことで、19世紀も半ばになってからです。それ以前は、知識人はともかく、普通に生活している民衆には、世界に神の摂理のほかの因果関係があるということを学ぶ機会はあまりありませんでした。19世紀半ばになると、ニュートン力学を中軸とする科学的な自然観や世界観が普及し、空間はすべて統一的な点の集合である、とあ、宇宙はすべて統一的な等質的時間に支配されている、というような時間観念や世界観が一般市民のあいだにも広がってきます。

折しも1851年にはロンドンで第1回万国博覧会が開催されて、鉄骨とガラスだけでつくられたP170広大な水晶宮を舞台に産業革命の粋を集めた技術の成果が展示され、観衆を圧倒します。これが自然科学的世界観の普及を促したことは言うまでもありません。

ドフトエフスキー(1821-81)などは、万博会場となった水晶宮の噂を聞き、そこに科学と技術がすべてを決定する未来社会の姿を見て、危機感をいだきます。『地下生活者の手記』(相互参照tw)の、「不可能とは-つまり石の壁のことである。石の壁だって?そうさ、もちろん、自然の法則、自然科学の結論、数学といったたぐいのもののことである。/実はもともと人間に意志だとか気まぐれというものはなく、今までにもかつてあったためしがないのだから、そうなれば人間自体はピアノの鍵盤やオルガンの釘みたいなものにすぎなくなってしまう」という一節は、当時の気分を端的に表したものでしょう。

芸術は暗い物陰で長い発酵の期間を終えて初めて花開くようなものだとするならば、科学に照らし出されてすべてが素どおしになり、そうしたい物陰がまったくなくなってしまった明るい世界には、新しい芸術作品などの芽生えてくる余地がない。こうした予感は、ボードレール(1821-67)の『悪の華』など、いわゆる世紀末芸術に共通する認識でした。真昼の太陽がすべてのものを照らし出すような明るい技術社会、技術文明が花開くだろうけれども、それは芸術にとっては大変な危機です。

ニーチェも同じ危機感を共有していました。ガス灯は普及してきて、日常生活のなかでも真の暗闇が次第に失われてゆく時代でした。等質的な今の継起という物理学的時間概念に反撥して、作家たちによって異常な時間体験がしきりに語られるようになるのも、このころです。

ヘルムホルツ一派などは、P171生命をはじめとするすべての自然現象を、物理、化学の力によって解明してみせる、という力学万能の立場を主張していました。ニーチェとマッハは、このような科学的な世界観への危機感から出発し、その思想を形成した人たちです。これは、19世紀末の芸術家たちが感じ表現した危機感と、共通するものでした。

ニーチェは「実存主義者」ではない
ニーチェという人は、高等学校の倫理の教科書などでは、「実存主義」の哲学というジャンルに分類されているのではないでしょうか。キルケゴールなどとお仲間で、カントやヘーゲルのような厳密な哲学者とは違って、あまり哲学の伝統にはこだわらず、自分自身との対話のなかで物を考えた人。これが大雑把な実存主義の定義みたいなものでしょう。ハイデガーやヤスパース(1883-1969)もそうした実存主義として名前が出てきます。

これは全くの誤解です。ニーチェは古典文献学者としてその学問的経歴をはじめた人で、大学を卒業するやいなやスイスのバーゼルの大学に24歳という異例の若さで助教授に招聘された秀才でした。古典文献学というのは、ギリシャ・ローマの古典を原点で読むことが哲学研究のもっとも基本的な修業だとするならば、ニーチェはもっとも正統的な教育を受けた人であり、西洋哲学の伝統と真正面から取り組んだ人ということになるでしょう。

日本ではニーチェは、あの『ツァラトストゥストラはかく語りき』の独特な思想詩的文体や、中期のP172著作のアフォリズム集的な構成のために、文学的で、抽象的思索や体系的失策を嫌った「詩人哲学者」と見られてきました。しかし、これも誤解で、彼は古代ギリシャ以来の西洋哲学の伝統と十分に成熟した関係を結んでおり、その上でこの伝統と対決しようとしているのです。

それに、彼はいわゆる「抽象的思索」も決して嫌ってはいません。健康状態の良いときは、自分にとって抽象的思索は祝祭であり陶酔であると言っています。確かに彼は、自分のことを『詩人哲学者』と呼ぶこともありますが、普通考えられているような意味ではなさそうです。

『悲劇の誕生』とショウペンハウアー(相互参照)

ニーチェの最初の研究テーマは、ギリシャ悲劇の成立史でした。バーゼル時代に公刊した『悲劇の誕生』(1872)がその成果ですが、そこで彼は「ディオニュソス的なもの」と「アポロン的なもの」という二つの原理を立て、それらがみごとに結びついたときに「悲劇」という芸術様式成立したことを解き明かしました。

しかし、この二つの概念は明らかにショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』(1819)の影響下に生まれたもので、「ディオニュソス的なもの」はショーペンハウアーの「意志としての世界」の、「アポロン的なもの」は「表象としての世界」の捉え直しです。

ところで、ショーペンハウアーのこの本は、実はカント哲学を、ドイツ観念論の哲学者たちとは違った方向で解釈しようとしたもので、「意志としての世界」はカントの「物自体の世界」の、「表象としての世界」はカントの「現象界」の捉え直しだったのです。

P173そして、さらにカントは、現象界の因果関係に拘束されず物自体の世界で自由に行為することのできる「意志」と、その現象界に関わる「表象」という理性の二つの能力を、ライプニッツが「単子」の二つの根本特性と見た「意欲」と「表象」から受け継いでいるのです。

ドイツ形而上学の系譜
つまり、ライプニッツ-カント-ショーペンハウアー-ニーチェとつらなる思想の系譜があり、しかもここでは「意欲・意志」の方が「表象・認識」の能力よりも根源的なものだと見られています。ハイデガーはこの思想での系譜を「ドイツ形而上学」の系譜と呼び、いっけんこの系譜とは無縁に見えるシェリングやヘーゲルらドイツ観念論の哲学者も、ある意味でここに数え入れられることができると考えているようです。

たとえばシェリングは、『人間的自由の本質』(1809)で「究極最高の法廷においては、意欲以外にいかなる存在もない。意欲こそが根源的存在なのだ」と言っていますし、ヘーゲルも『精神現象学』で、存在の本質は知であり、その知は根源的には意欲と同じものだ(関連)とみなしているからです。

もっとも、「意志」と言うと、われわれはなにかを決意するときに働くようなかなり高級な能力を思い浮かべますが、ドイツ語の「意志(ウイレ)」「意欲(ウオレン)」はむしろ「生命衝動」とでも言った方がいいようなものなのです。つまり、弱肉強食の世界でただ生きようとする、どこにゆくのかまったく分からない無方向な生命衝動のようなものが考えられているのです。

そうしたものの方が表象したり認識したりする知的能力よりも根源的だと見る伝統がドイツ思想にはあるということなのでしょう。ニーチェも明らかにそうした伝統のなかでものを考えはじめたのです。

P174/ 176/ 178

P186
ニーチェはなぜ価値転倒を企てたのか(tw)
それにしても、どうしてニーチェはこれほど壮大な視野に立ってヨーロッパの歴史を概観することができたのでしょうか。わたしには、昔からそれが不思議でなりませんでした。

中世を視座にして近代ヨーロッパ文化を批判するとか、古典期のギリシア文化に視点を据えてローマ以降のキリスト教文化を批判するといった例ならありそうですが、古代ギリシアの悲劇時代に足場を据えてギリシア古典期以降の西洋の文化形成の総体を批判し乗り越えようとする企ては、それまで例がなく、瞠目に値します。

ポスト・コロニアリズムとかオリエンタリズムといったことが普通に話題にされる今日ならともかく、十九世紀末のあの時代にこうした発想をするには、相応の心理的動機がなければなりません。

空中から鳩をとり出すように、無動機に思いつけることできなさそうです。いったいニーチェのなかのなにがそうした発想の動機として働いたのか、少し寄り道をすることになりますが、ここでそれを考えてみたいと思います。

一冊の偽書---『妹と私』(tw)
ニーチェのこの発想の動機についてわた、しが大きな示唆を得たのは、おかしな話ですが、一冊の偽書からでした。

P187それは、ニーチェが精神錯乱を起こしたあと、イェナの大学病院に入院中の小康期に書いた原稿の英訳というふれこみで、《My Sister and I》という表題を付けられ、一九五一年にニューヨークで出版された、まことに怪しげな本です(一九五六年に『陽に翔け昇る--妹と私--』十菱麟訳ニーチェ遺作刊行会発行として、邦訳も出されました)

長短さまざまな自伝的記述とアフォリズムから成っており、妹エリーザベトとの幼少期にはじまった近親相姦やルー・ザロメ、コジマ・ワーグナーとの情事の赤裸々な告白などもあって、読物としてだけでも実に面白いし、英訳を通して見てもある筆力が感じられて、あるいは?と思わせられます。

本文ニ六〇ページを越える堂々たる本です。

この原稿が廻りまわって、十八巻本の最初の英訳ニーチェ全集を刊行したイギリスのニーチェ学者オスカー・レヴィの手に入り、彼の手で英訳され、「序文」を付されたということになっていますが、なにしろ刊行したのが悪名高いニューヨークの出版業者サミュエル・ロスですから油断はできません。

この男には、イギリスで発禁になったジョイスの『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』を自分の雑誌に盗載したり、『ユリシーズ』の誤植だらけの初刊本を著者に無断で出版した前科があります。

しかも、同様に悪評の高いアンソニー・コムストックの創立したニューヨーク悪徳禁圧協会の会員に押しかけられ、ニーチェの直筆原稿は焼かれ、英訳原稿だけ残ったというのですから、ますます信用なりません。

おまけに、一九六五年になってから、プリンストン大学のニーチェ研究家ワルター・カウフマンのもとに、

P188デイヴィッド・ジョージ・プロトキンという贋作の専門家が、ロスに頼まれて自分がこの本を偽作したと名乗り出たといいます。

はたして贋作者がこのプロトキンかどうかはともかく、この『妹と私』が偽書であることに間違いはなさそうです。

インセスト・タブー
しかし、『妹と私』という標題からもうかがえるように、この偽書はニーチェと妹エリーザベトの近親相姦を主題にしているのですが、これはわたしには偽作者の炯眼だったように思われます。インセストという係数を入れると、ニーチェの発想の謎が解けるように思われるからです。

いや、この兄妹のあいだにそうした関係があったと主張したいのではありません。ただ、二人のあいだで交わされた手紙を見ても、妹の書いた兄の伝記を見ても、兄の恋人たちに対する妹の烈しい嫉妬を見ても、この兄妹が異常なほど親密な感情で結ばれていたことは確かであり、いつごろかはともかく、ニーチェのうちでもそれに近い心の動きが起こったであろうことは認めてよいと思います。

もしそうだとすると、すぐにも、インセストのなにが悪いのか、むしろインセストをタブーにしてきた文化の方がおましいのではないか、古代のエジプトやペルシャのようにインセストをタブー視しない文化はいくらもあったじゃないか(これは事実ではないようですが)、といった疑問が頭をもたげてきて、インセストをタブーにする文化を総体として否定するような視点に立つこともできそうに思います。

ニーチェは一度だけ『悲劇の誕生』の第九章で、インセストにふれて、「太古の、殊にペルシアの俗信に、賢明な魔術師は近親相姦からしか生まれえないというものがある」と言っています。

私は、インセスト・タブーに対するこうした反撥が心理的動機として働いて、ニーチェは西洋の文化形成の総体を批判的に見るような壮大な歴史的視野を開きえたのではないかと思っています。

価値とは何か(『梨泰院クラス』ニーチェ場面集参照)
哲学的主著として計画された「力への意志」の第三巻「新たな価値定立の原理」においてニーチェは、「力への意志」と呼ばれる新たな生の概念をそうした原理として立て、それにもとづいて新たな価値体系の樹立を企てます。

(略)

関連
・「パタンとパトロン」『認識とパタン』(渡辺慧)より(eternity)
P10 日本語のパタンという言葉はもちろん英語では、どういう来歴の言葉でしょうか。英語でも、現在では、ほとんど日本語と同じように、非常に広い意味用いられておりますが、元来は、裁縫などでいう、型紙というほどの意味だったようです。そして、それはフランス語のパトロンとい言葉から来たということになっています。フランス語では、普通の意味でいう、いわゆるパトロンという意味と、型紙という意味と両方をいまでも一語で表しますが、英語になるとき、二つに分かれて、パトロンという英語と、パタンという英語になったというわけです。

P11 ところで、パトロンという観念が一つの言葉で表わされていたということは、興味のあることです。パトロンということは、主人とか、親方とかいう意味はもちろんのこと、守護者、守護神、守護聖人というような意味も含まれています。つまり、パトロンというのは、何かお手本になるものであって、我々が、従い、模倣し、追従するというような意味あいです。

そう考えれば、型紙、すなわちパタンも、一つのお手本であり、典型であって、我々が、それに倣って次のものを作るのでありますから、一つの言葉で表しても不思議ではありません。

ですからパタンという概念には、元来は主従関係の意味があったのですが、だんだん民主化?してきまして、中心とか主人とかいう意味は消えていきまして、それを倣った多数の実例の集団的な観念になったわけです。ですから、現在では、中心のあるなしに関係なく、一つの類似なものの集団ということが、パタンという概念の核心になりました。

ですから、現代的な意味でのパタンというのは、「ある集団(クラス)の一員としての個体」といっても、大して片手落ちではないでしょう。

P12 これは、少しまた脱線になりますが、ちょっと気がついたので書いておきますが、フランス語でレストランのパトロンといえば店の亭主ですが、英語でレストランのパトロンといえば店の顧客の意味になります。なぜでしょうか。

少しかしこまっていえば、封建的残滓と商業主義の違いだともいえましょうが、まあ、フランス語では、英語でボスというところをパトロンという習わしになっていますので、亭主をパトロンというのはあたりまえでしょう。一方、アメリカなどでは、金の出所が守護神だから、これをパトロンというのは無理ものないことでしょう。

パタンとは、さて、本題に戻りまして、パタンとは何かということを考えてみますのに、もっとも簡単にいえば、「これは何か」という問いに対する答えになるものはパタンだともいえましょう。それはそういう問いに対する答えとして、普通、類概念をもってくるからです。

「猫です」とか、「アルファベットのAです」とか、「短袖のボレロです」とかいう答えは、まさにその個体の属するクラスを指定していることになります。

P13 個体の属する類の名前がわからないときは、「これは何と何と何が、これこれこのように組み合わさってできたものです」と答えるのが自然でしょう。こういう種類の答えも結局、何か一つの集団(クラス)を指定していることになりますので我々のパタンの観念から外れるものではありませんが、このような答え方っは、パタン認識の技術語でいえば、構造分析的とか文法的とかいわれるもので、また、ずっと後でもう一回お話しする機会があると思います。

「パタン認識」というのは、要するに、個物のパタンを言いあてるということで、特にこれをコンピューターにやらせるときに用いる用語です。これは英語のpettern recognitionという言葉を翻訳したものです。では、フランス語では何というのでしょうか。語源から考えると、パトロンの認識といいそうですが、普通、reconnaissance de forme「形の認識」と申します。

ドイツ語でパタンに対応する言葉は、ムスターでありまして、それには、二つの用法があります。一つは模範という意味で、Mustersohnといえば、模範的な息子という意味ですし、一つは英語のパタンに近い意味で、Blumenmusterといえば花模様という意味になります。第一の意味は、パトロンという言葉の意味を考えたときに出てきた観念ですし、

P14 第二の意味は、日本語でも、英語でも、花模様という花のパタンというのと同じです。ところが面白いことには、ドイツ語では、ムスター認識という言葉も使いますが、主としてFormerkennen「形の認識」と申します。

仏、独の「形の認識」という言葉には、多少注釈を要します。「形」という日本語は、すでに、第一節でパタンという観念を考えたとき最初に用いた言葉で、それで話は通じます。しかし、英語の”form”、フランス語の"forme"、ドイツ語の”Form”という言葉は、少しインテリの耳には、単に、「形」という意味の上に、というか、その底にというか、もう少し深い連想があるのです。ドイツ人や、フランス人が、フォルムの認識という言葉を使っているときに、いつでも、そこまで考えているかどうかはわかりませんが、少し哲学などを勉強したフランス人か、ドイツ人ならば、少し考えてみるとそこに考え及ぶはずです。

と申しますのは、ほかでもありませんが、フランス語でも、ドイツ語でも、また英語でも、ギリシャ哲学でいうところの「形相」というものをこの名で呼んでいるからです。日本の哲学の先生は、このことをありがたくするために、「形相」だとか、イデアだとか申しますが、ヨーロッパの先生はふつう単に「形」と申します。フォルムの下に、パタンの下に「形相」という観念が、ひそんでいるといってもよいでしょう。

・「自然哲学の二つの伝統」『はじめて読む数学の歴史』より(eternity)
P42 ピュタゴラス学派の教義は「万物の始原は数である」というものですが、これはミレトス学派のテーゼとは性格を異にしています。ミレトス学派の自然学者たちが、もっぱら「世界は何から作られているか」を問題としたのに対し、ピュタゴラス学派の人々は「世界はどのように存在しているか」という存在様式、その構造を問題としたのであり、その解答が「万物の始原は数である」だったのです。

前述したアリストテレス哲学における対概念である「質料・形相」を用いれば、ミレトス学派は「質料の哲学」を、ピュタゴラス学派は「形相の哲学」を追求したと言ってもよいでしょう。ピュタゴラス学派における「形相」は「かたち(形)」とほぼ同義なものを意味したのであり、自然的事物のみならず、正義や性などの抽象的概念までもが幾何学的図形との類比において論じられたのです(注19)。

つまり、ピュタゴラス学派の教義が示唆しているように、彼らが問題とした「形相」はすぐれて数学的・幾何学的であり、世界は数学的秩序を内在している数学的自然観がギリシャ世界に初めて登場したということができます。

(注19)たとえば、正義には「4」、男には「3」、女には「2」、結婚には「5」あるいは「6」があてがわれていた。

・「ランダムと一様あるいはミクロとマクロ 」『感性の起源』(都甲潔著)より(eternity)
エントロピー増大の法則

P61 第2章で述べた通り、エントロピーとはランダムさを表す目安のことである。ランダムなほどエントロピーは高いといえる。これを理解するには、「覆水盆に返 らず」という中国の諺が重宝する。この諺は、中国古代周王朝を守り立てた功臣にまつわる故事に由来する。

読書や川での釣りばかりしている男の妻が愛想をつかしていったん去った後、夫が出世したことを知り、復縁を迫った。しかし、夫は静かに庭先に盆の水 をこぼし、「この水をすくって、もとの盆に戻してみよ」と、とうてい不可能なことを言った。妻に「済んだことは元に戻せない」と諭したのである。

この賢い夫は、周の文王の太公(祖父の意)が待ち望んだ人物ということで、太公望と呼ばれた。

この太公望の言葉は、熱力学におけるエントロピー増大の法則に他ならない。自然は、放っておくと、エントロピーの高い状態、つまりランダムな状 態、巨視的に見て一様である状態へと移っていき、元には戻れない。

小さい容器に入っているより、地面に浸み込んで広がったほうがエントロピーは高いのである。太公望が、エントロピー増大の法則という物理学の大法 則を知っていたはずはないが、経験的には私たちも合点いくことである。

ランダムと一様との関係をもう少し詳しく説明しよう。ランダムとは微視的に見て、という意味であり、一様とは巨視的に見て、という意味である。つ まり、私たちが目にする現象は一般に巨視的な現象であるが、それは非常に多くの要素(原子、分子、化合物)からなっている。その要素は熱により常に、わず かではあるが、ゆらいでいる。

そのゆらぎ方がランダムなのである。このランダムなゆらぎは、目では見えない微視的な事象であるが、非常に短い時間で動きを何度も繰り返し、か つ、たくさんの要素があるので、多くの要素全体では空間を埋め尽くす方向へ進み、その全体としての様子を目で見ることができる。これが拡散であり、系は一 様な状態へと向かうのである。

その結果、エントロピー増大の法則とは、自然界が巨視的に見て一様に進むことを主張する法則ということになる。先のゾウリムシはランダムに行動す ることで、生活空間をできるだけあまねく、広く一様に探ることでエサにありつこうとしていたのだ。

赤インクをコップの水に一滴たらしてみよう。たらした点からインクがゆっくりと水中に広がる。拡散である。最初は赤色の濃淡の勾配がコップに形成 される。そして十分な時間がたつと、コップいっぱい一様に薄い赤になる。赤インクがコップの水全体に行き渡った結果の平衡状態である。

拡散の原因、それはエントロピー増大のためである。赤インクが、そのたらした一点にとどまり、色の形を作ることは許されないのだ。自然は一様化を 迫る。

さらにもう一つの例を挙げよう。ゴムを引っ張るとゴムは縮もうとする。なぜだろうか。これもエントロピー増大の法則で理解できる。ゴムは一般に分 子がたくさん結合した高分子である。ゴムが縮んだ状態と、伸びきった状態を考えて見よう。縮んだ状態はいくらでもあり得る。どんな形でもあり得る。しか し、伸びきった状態はただ一つしかない。

P64 これは、何を意味するのか。縮んだ状態はくちゃくちゃとランダムで、伸びきった状態は秩序を保っている。言葉を換えると、縮んだ状態の方 が高いエントロピーをもつ。それゆえ、ゴムは縮もうとするのだ。

自然は一様化の方向へ進むのか

自然はエントロピー増大の法則に従う。そうすると、形ある状態がが自分で勝手にできるのはおかしいということになる。エントロピー増大、つまり、 ランダムさが増すだけである。一様な状態へと向かうのみである。エントロピー増大、つまり、自己組織化は、エントロピー増大の法則に矛盾しているのであろ うか。

まず、エントロピー増大の法則は、閉じた系にのみ適応されることに注意したい。閉じた系とは、外部とエネルギーや物質のやり取りががないという意 味である。つまり、外部から何も入ってくるものがないときだけ、使える法則なのである。

それゆえ、この法則は非平衡系では使えないことがわかる。生命はエントロピー増大の法則に従う必要はない。それでは外部から閉ざされた平衡系だと どうなるだろうか。先に紹介した脂質ニ分子膜やシャボン玉の膜の形成、雪の結晶形成がそれに該当する。実は、エントロピー増大の法則をもう少し詳しくいう と、この法則は系を構成する要素が相互作用しない理想系の場合を述べている。つまり、互いに相互作用しない要素の集まりについての法則だ。

ところが、脂質ニ分子膜では、脂質の疎水鎖が水分子をはじき、ファン・デル・ワールス力という弱い引力で脂質(石鹸)分子同士が引き合う。一様に 散らばろうとはせず、集まろうとするのである。これはエントロピー増加とは逆の方向である。

この事実がからわかるように、要素が互いに相互作用し合う系では、要素間の力(つまり内部エネルギー)とエントロピーのかね合いで、系の状態が決 まる。熱力学の言葉では、内部エネルギーとエントロピーからなる自由エネルギーが、系の状態を決める。

構造化と一様化

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