理化学研究所 ゲノム科学総合研究センター特別顧問 和田 昭允 氏
(掲載日:2006年10月16日)
(掲載日:2006年10月16日)
生命とは一体何だろう? と考えるとき、生物を“物質世界の一部”と見るか“科学論理の外の作品”と見るか、つまり機械論(Mechanizm)と生気論(Vitalism)の立場がある。
そうは言っても、われわれの意識の中では生命界は“特区”のように際立っているのが普通だろう。これが自然科学がこれまで物質・生命の二大領域になんとな く分かれてきた由縁だ。しかし今日、両者の統合的理解が進んでおり、基礎から応用に亘る広い科学技術の発展の晴れの舞台となってきている。もし我が国がこ れに後れをとるならば、先進国としての将来はない。
科学史は、人類が営々と磨き上げてきた「計測」と「数理」が、森羅万象の暗黙知を形式知に変えて来た自然理解の歴史だ。1944年、量子力学の創始者の一 人であるエルウィン・シュレーディンガーは、「生命とは何か?」と題する小冊子の中で、物質としての生命の特徴をつぎのように見事に描写する。
「結晶のようなものは、構成分子が同じ構造を三方向に何度も何度も繰り返してゆく単純な“周期性の秩序体”だ。生物の場合は違う。複難な有機分子が単調な 繰り返しをしないで、だんだん大きく広がった凝集体をつくり上げてゆく。すなわち、分子それぞれが個性のある役割を演じ、全く同等の働きをするということ はない。このようなものを“無周期性の秩序”と名付けよう。ひとつの遺伝子、あるいはおそらくひとつの染色体全体、は“無周期性の秩序体”であると考えら れる」。
“生命は物質の特別な状態だ”と明確に言い切り、それまで単純な物質が相手だった物理学の射程距離内に生命を置いたわけである。
かくして20世紀の後半、生命探究の最前線はついに物質・生命両世界の国境に達した。ワトソンとクリックが、1953年にX線回折という物質構造解析の手 法によって“DNAという物質が遺伝という生命現象に持つ意味”を発見したことで、生物学はゲノムを基盤とする美しい形式知体系に変貌した。
これを受けて生命科学は定量的精密科学に生まれかわる。80年代から、生命、さらには人間、という超複雑な相手にも十分立ち向かえる能力を持った物理・化 学計測システムが次々に開発された。大規模で総合的な研究が始まり、得られた膨大な形式知群は情報科学が解析・整理・蓄積し、人類の共有資産となる。
今日科学者は人間・生物一般・地球環境の将来に対する「予想・予報」、また、医療薬や育種などの「デザイン可能性」で、社会の信頼を獲得し、種々の要請に応えられるようになった。
21世紀科学における最大の課題は“生命という特別な物質状態”の全貌を明らかにすることに他ならない。これは科学・技術の全分野が力を合わせなければな らない大事業で、そのイニシアティブを取った国が知の世界を先導するだろう。日本も遅れてはならない。
最後に、“我こそは”と思っている方々に、中谷宇吉郎の先見性に溢れた至言を送る。
『人間には二つの型があって、生命の機械論が実証された時代がもし来たと仮定して、それで生命の神秘が消えたと思う人と、物質の神秘が増したと考える人と がある。 科学の仕上仕事は前者の人によっても出来るであろうが、本当に新しい科学の分野を拓く人は後者の型ではなかろうか』。 (“簪を挿した蛇”『中 谷宇吉郎随筆集』 岩波文庫(1988))
参考文献 | |
和田 昭允 | 『物理学は越境する―ゲノムへの道』 岩波書店(2005) |
和田 昭允 | 『生命科学の境界を越えて』 月刊「バイオニクス」1~12月号 オーム社(2005) |
和田 昭允 | 『発想のメリーゴーラウンド』 月刊「バイオニクス」1~12月号 オーム社(2006) |
岸 宣仁 | 『ゲノム敗北』 ダイヤモンド社(2004) |
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