2012年12月25日火曜日

科学の新しい考えは、反対者を説き伏せることによってではなく、むしろ反対者がいずれ死に絶えるがゆえに勝利を収めるのです

ふと思い出したので、遠い記憶を求めてシークエンス。拙mixi日記2008.07.20コピペ。

 某ブログを読んでいて思い出したのでメモ。大抵はそうだけど、時としてそうでない場合もあるということ、だからこそ、それを目にしたとき、人(わたし)は感動する! 

『ミトコンドリアが進化を決めた』P125 
1970 年代の中ごろには、まだ分子レベルの現象をいろいろ解き明かす必要があり、それが物議をかもしていたものの、大半の研究者はミッチェルの見方に同調するようになっていた---ミッチェルはライバルたちがいつ「転向」したかを示す一覧表まで残していて、彼らを激怒させた。彼が1978年にひとりでノーベル化学賞を受賞したことも、冷遇される一因となったが、その飛躍的な考えは単独受賞に値していたと私は思う。かつて10年ほど精神的につらい期間を過ごし、生体エネルギー論の敵対的な研究者に加え、病気とまで戦った彼も、最高に手厳しかった批判者の転向を、生きて目にすることができたのである。ノーベル賞の受賞講演で彼らの思想的な寛大さに感謝の意を述べた際、ミッチェルは偉大な物理学者マックス・プランクのこんな言葉を引き合いに出している---「科学の新しい考えは、反対者を説き伏せることによってではなく、むしろ反対者がいずれ死に絶えるがゆえに勝利を収めるのです」。この悲観的な言葉を反証してみせたのは、「非常にうれしい成果」だった、とミッチェルは言っている。 

『ミトコンドリアのちから』P179 
ミッチェルは晩年、自らが提唱した生体エネルギー学からさえも抜け出したいと考えていたらしい。そして、カール・ポパーの科学哲学に共鳴しつつ、「科学の人間性」について思索を巡らせた。科学は客観的真理を扱うと思われがちだが、本当は人の心が実在世界を捉えることによってなされるのだから、科学の人間性を探求しなければならない。実験の限界も知らず、謙虚な態度を失えば、科学者は自分たちの学派に閉じこもってしまうだろう---ミッチェルはそう唱えた。自らの健康を犠牲にするほどの論争を潜り抜けてきた彼だからこそ、重みを持って伝えられる思想であった。 

(メモ)渡久地明の時事解説:改めて確信を持って常温核融合をおすすめする 
http://toguchiakira.ti-da.net/e1560943.html 
マックス・プランクが言ったように「科学の進展は葬式ごとに進む。」彼は次のように説明した。「新しい科学の真実の勝利は反対の人を目から鱗が落ちるように説得させるわけではなくて、むしろ反対派はだんだん死んでいき、その新しい真実に慣れた新しい世代が成長してくる。」 
 権力のある支配者層の科学者がたくさんいて、あまり理性のない熱情で反対しているので、自分が間違っていると白状できないから、研究は彼らが死ぬまで待たなければならないだろう。残念ながら常温核融合の研究者は引退した科学者が多くて、反対派の人よりも年上で早く死に絶えている現状だ。(まえがき) 

http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20080527/1211859138 

(メモ)巻頭言 信と不信 <GA Site> 
http://www.gasite.org/library/ucon133/index.html 
ドイツの大物理学者マックス・プランクは言っている。 
「反対論者をしだいに屈伏させて転向させるという形で重要な科学的革新が行なわれることはめったにない。サウロがパウロに変わることはほとんどないのだ (注=迫害者サウロは後に転向して使徒パウロとなり、不滅の名を残した。サウロはへブル名)。それが変わるのは、反対論者がしだいに死に絶えると次の世代は革新的な学説を支持するからだ。結局未来は若者の手にあるのだ」  

(メモ)支配としての模範 
http://www.nagaitosiya.com/b/paradigm.html 
クーンはマックス=プランクの次のような言葉を引用している。 
新しい科学的真理が勝利をおさめるのは、それの反対者を納得させ、彼等の蒙を啓くことによってではなく、その[年寄りの頑固な]反対者が最終的に死に絶え、当の新しい科学的真理に慣れ親しんだ新しい世代が成長することによってである。 

(メモ)趣味の経済学 民主制度の限界 
http://www.h6.dion.ne.jp/~tanaka42/seido.html 
研究はその分野の老教授が死ぬことによって進歩するという、マックス・プランクの言葉 

(メモ)「相手のほうが正しい」と認められるかが基準
https://toyokeizai.net/articles/-/627560?page=4
本当に真実を知ろうとしている人と、ただ頭でそう思っているだけの人を分けるのは、「正当な批判を認める」「今回は『相手のほうが正しい』と言える」「自分の間違いを認められる」といった行動をとっているかどうかだ。

もし自分の意見を批判されたとしたら、こう考えてみよう。

「自分とは違う考えだが、理にかなっていると思えるもの(その意見を持つ人を知らなくても)はないだろうか?」

「自分は理性的で、賢く、知識がある」と感じているのと、それを実践していることは、別の話だ。

(メモ)科学と芸術、あるいは、普遍と個別
https://ghoti-ethansblog.blogspot.com/2019/01/blog-post_16.html#248
P248 まったく同じ実験データでも、いろいろに解釈できることがままあるのだ。---この事実こそ、科学の歴史が文学批評の歴史とおなじくらい多くの悪意に満ちた議論で埋めつくされている理由である。

かくしてわれわれは、実験によって科学的な理論を検証するという相対的に客観的な方法から、美学的価値という相対的に主観的な判断基準まで、一連の連続的な変化を再び手にすることになる。

2012年12月8日土曜日

アメリカ政治の6大潮流

ふとしたきっかけでこれを思い出した。拙mixi日記2008年02月02日をコピペ。


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私の理解tw/tw

アメリカ政治の6大潮流』(副島隆彦著)より
このバーキアン(自然法派)とロッキアン(自然権派)の巨大な対立軸のことが、この百年間、日本の政治知識人層には全く分からないのである。http://soejima.to/souko/strategy/ 
共和党-A 民主党-B 
A1) 伝統保守派(保守本流)=エドマンド・バーク主義(バーキアン)=「自然法」(ナチュラル・ロー)派 
A2) 現実保守派=ジョン・ロック主義(ロッキアン)=「自然権」(ナチュラル・ライツ)派 
A3) リバータリアン派=ジェレミー・ベンサム主義(ベンサマイト)=「人定法」(ポジティブ・ロー) 
A4) ネオ・コン派=新保守主義、外交・軍事問題におけるグローバリスト 
B1) 現代リベラル派=「人権」(ヒューマン・ライツ)派、福祉推進派 
B2) 急進リベラル派=アニマル・ライツ派、環境保護派、反資本主義、反体制派 
私は、どんな思想にせよ好きなことができて食べていければそれでよいと思っている。ただ考え方が素晴らしければ素晴らしいほどその実現は難しい気はする。そういう意味でバークの思想には共感するのであるが、現実の政治にはあまり関与したくはないといった感じだ。 

著者の研究は分り易い。どんな考え方があるのか知りたい、ということで、しばらく『現代アメリカ政治思想大研究』をメモ。

自然権と自然法
P118 ジョン・ロックが創始した「自然権」=「憲法が保障する諸人権のカタログ」の思想に正面から対決した思想家が、エドマンド・バーク(1729-97)である。バークは自分の属したホイッグ党Whig Partyの立場に従い、アメリカ独立革命運動には理解を示したが、フランス大革命には大反対であった。フランス革命を実行に移したフランスの過激派政治家たちがロックの「自然権」を鵜呑みにして、それを自分たちの行動の原理として担ぎ上げ、「人間は生まれながらに自由かつ平等だ」と高らかに宣言したこと、それ自体を大変嫌った。 
なぜなら、この地上でこれまで人間が、そして社会が自由で平等であることなどなかったし、大昔も過去も現在も、それからおそらく未来においても、政治宣言として「そうあるべきだ」と主張する以外には、そんなことはないからである。かつ、そんなことは誰にも証明できないからである。実際の人間世界では、「人間は、なるべく個人の努力により、自由かつ平等であるべきだ」としか、本当は言えないのである。 
近代以降の人類が犯した戦乱や民族皆殺しや政治的大量殺人などの数々の悲劇と大間違いは、この自然権思想の立場に立って現実の世界を無視して楽天的に、「人間は自由で平等だ」などと簡単に宣言してしまったことにある、と考える根本保守の思想は、実質的にこのバークによって始まった。 
バークと同時代のスコットランドの大哲学者ヒューム(1711-76)もまた、その懐疑主義の立場から自然権を否定した。現実の人間世界は、つまらぬイデオロギーの色眼鏡を外して冷静に見れば、不自由でかつ不平等なものであり、ちょっとやそっとのことでこの現実は変わらない。また、変えられなるわけがない。 
ところが、この人間世界の現実を急激に現状を変えようとして、かえって、政治権力を握った者たちが理想主義に燃えて革命・大改革を断行しようとして、かえってあれこれの不都合を引き起こし、結局それは強制収容所や政治的大量殺人という、ろくでもないことにしかならなかったことは、歴史の教えるところである。 
人権派とは何か
P122 バークの(A1)自然法の思想は、現代につながる根本的保守の態度の思想として「近代民主主義憲法体制」そのものと対決するものとして生まれたのである。そしてそうであるが故に、この世の中を表面的なキレイゴトとしてではなく、もっと深く深く考えようとする、優れた保守的人格の多くの人々が今も世界中にたくさん存在して、彼らに「我はバーキアンBurkeanなり」と言わしめるのである。彼らは、利権や現実勢力に結びつく現実的保守主義者たちとは違って、「永遠の保守的態度の人々」と呼ばれるべきだ。 
しかし、ロックの(A2)自然権派の方だって、この世界政治思想上の大対決において、簡単に負けてはいない。それは20世紀に入ってさらに拡張・拡大されて、「憲法が定める基本的人権」となった。これはたとえば、われわれ日本人の現行の『日本国法典』(1946)や、国際連合の『世界人権宣言』(1948)などを作るに至った。そしてこのロックの自然権から始まった「憲法が定める基本的人権」を、まるで当然の「自明の実在の権利としての、国家に対する請求権だ」と考えるに至った。 
すなわち、「ひとりひとりの人間が国家に対して自分の生活を保障するように請求できる権利をもっている」「それは生まれながらの、奪うことのできない権利だ」と思い込んだ人々が、世界中に多数存在するようになった。現代世界の多数派は、この派の人々である。それは『世界人権宣言』というものの存在の一つをとって見ても分ることだ。  
彼らは自分たちのことを(B1)人権派=リベラル派、あるいは民主主義者と信じて、自分たちのことを正義の人々と信じ込むに至った。このような人々が大量に生まれて、現在に至っているのである。
日本国憲法では、第25条の「生存権、国の生存権保障義務」として、「全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」としているが、ここのこの人権派の思想がよく表れている。私はこの人権派を単に人権派と呼ばずに、より正しくは「constitutional human rights(憲法体制的人権)派」と呼ぶべきだと思う。
ここで注意すべき点は、この(B1)人権派と(A2)自然権派とは、厳密に分けて考えなければならないことである。ロック直系の(A2)自然権において、憲法典は「生命・身体及び財産の自由」だけを保障宣言しているのである。自然権派は、「人間の生命、身体、財産所有の国家からの自由・独立・不可侵」だけを定めているのであって、「憲法典は全ての人間の社会福祉までを保証している」とする(B1)人権派とは、本来、決定的に違うことを知らなければならない。 
(A2)自然権派は保守思想であり、(A1)自然法派と対立して近代西欧を支配した二大保守の潮流の一方の雄である。それに対して(B1)人権派は、(A2)から派生して、(A2)とは違うものに成長していった。人類の自己誤解の巨大な産物である。(B1)は、その後の社会主義思想と混合して出来上がった、完全なリベラル派である。 
日本では、(A1)は本格的には輸入されないまま今日に至り、(A2)と(B1)はごっちゃになって区別をしっかり付ける間もなく「天賦人権論」として明治の中期に入ってきて、そのままベタッとくっついたまま、(A2)は左翼的人間主義運動としての(B1)に飲み込まれて行方不明となって現在に至ったのである。 
1914年、日本に初めて反天皇制の民主主義=民本主義を『中央公論』誌に説いて華々しく登場したのが吉野作造だったが、それからたった10年後には、日本の政治思想の主流は、ソヴィエト共産主義(社会主義)に飲み込まれていった。したがって、明確に(A2)であった吉野の民本主義と(B1)の左翼・社会主義の区別をつける力がないままに、日本の政治思想は(B1)派に成り果てて、やがて戦後にも(B1)派の全盛を迎えたのだった。 
天賦人権論は明治の初めから福沢諭吉がアメリカ経由でジョンロックの思想を輸入して広めた。有名な『学問のすすめ』の中の、「天は人のうえに人を造らず、人の下に人を造らずと言えリ」である。自由民権運動の中からも、たとえば中江兆民によって、ルソーの『民約論』などが過激な思想として伝えられた。簡単に言えば、ルソーの思想はロックに比べて過激人民主義で、(A2)派からの(B1)派の分離を予兆していた。ルソーの一般意思論がそれだ。そしてルソーの思想は、のちにナチスやスターリン型の(B1)派につながる。 
それに対して、近代自由思想家としての(A1)の自然法を強調したバークの思想がイギリス古典自由思想として日本に到着したのは、やっと第二次世界大戦後のことである。それは、ヨーロッパの政治思想をこつこつ学んだ少数のすぐれた政治学者たちだけが共有している思想であって、政治学者たちの論文としてはたくさん書かれたのだが、一般読書人にはほとんど知られていないのが現状である。 
P126 日本では(A2)のロック系の自然権は(B1)の人権派の人権と混じり合ったまま、「憲法が定める基本的人権」の「諸人権カタログ論」として今日に至る。 
アリストテレスに起源をもちバーク改訂による(A1)自然法の方は、ちっとも理解されずに現在に至っている。 
日本では政治思想をめぐる問題は、左翼(モスクワ寄りマルクス主義的社会主義派、反モスクワ派もいたが)と、保守派(民族主義的な天皇尊重派、あるいは資本主義肯定派、あるいはアメリカ寄りの反共保守)の対立としてであった。最近は日本でも急激に増えている自称保守主義者の人々でも、ついほんのこの間まではちっともそうでなくて、学生時代には左翼活動家だったりする。  
アメリカの自然法派と自然権派と人権派

P132 自然法派を制度によって微分(極端化)したものが自然権派であり、これをさらに近代憲法典によって微分したものが人権派である。そしてこの人権派をさらに動物・生命の次元で3回微分すると、「高等動物擁護=環境保護」派になる。 
P127 東部の名門大学の法学部は、200年前のアメリカ建国当時の、アメリカ憲法を定めた時の、その権利宣言を法律解釈の基準として重視する。彼らは「アメリカ市民の生命と身体と財産の所有の自由と、生産活動の自由を保障するために、国家はあるのだ」と考える。自然権派そのものである。 
P128 彼らは、現実の憲法体制の存在を自明の前提とし、それを現実の秩序として確固たるものとして認めた上で、職業人として、このアメリカ憲法に基づく政治体制に奉仕するのが自分たち専門的法律家なのだと考える。だから、自然権は、徹底的にプロの職業的法律家の思想である。 
念のため繰り返すと、自然権は人権と呼ばれるものと重なるのだが、この自然権には「貧しい人々の生きる権利」や「社会福祉優先」や「政治的少数者の側の権利」などのいわゆる「社会権的人権」の類は含まれない。 
ハート自然権派は「生命・身体・財産の自由」だけを重視するのであって、「それ以上の各種の人権の保護」を強調する人権派=リベラル派とは異なる。ジョン・ロックの真骨頂は、「財産の所有権」という制度思想を作って「所有権が人間の自由を保障するのだ」とした点にある。 
アメリカの建国期に成立したこの自然権派は、ロックの思想を下書きにし『独立宣言』を実際に起草したジェファーソンに代表される。それに対してアメリカの自然法派は、法思想家としてのリンカーン(1809-65)第16代大統領をその代表とする。 
リンカーン大統領は、アメリカ合衆国憲法の個々の定めよりも、もっとその奥にある、永遠なるものを強調した人だ、とアメリカ国民一般に受けとめられている。「永遠の相の下における」という言葉が、自然法派の合言葉なのである。 
それに対して自然権派は、自分たちは法学者・法律家としての現実の「それぞれの法律の定めに従って規制をする」だけなのであって、この場合「その法律そのものが正義であるか、善であるか」などということを判断すべきでないし、かつ、その権限も自分たちにはないと考える。 
そのようなことは法律家がとやかく言うべきことではなくて、それは議会が決めることである。国民の代表たる議員たちが法律を作るのであって、その際憲法の条文や個々の法律の正義や善や公正さについては、彼ら議員たちが議論し論究すればいいのであって自分たち法律家の仕事ではない、とする。 
P129 自然権派は、自分たちはもっぱら職業人として法律実務家なのであり、「それぞれの法律を基準・尺度にして紛争を解決し」「法律を合理的に解釈して仕事をしているだけなのだ」と言う。 
それに対して、自然法(自然の掟)派の法学者たちは、現実の法律の欠陥を補うために、あるいは正義justiceや善goodnessや公平fairnessを実現するために、法律家が積極的に真の「法を発見」するのだとか、「法を創造する」のだとか、往年の名裁判官Oliver Wendell Holmes(1841-1935)判事のようなことを言う。 
これに対して、自然権派は、自分たちはそのような大それたことは言わない。現実的保守なのだ、という反論を行なう。すると自然法派は、「あなた方自然権派は、つきつめれば法律を国家の強制的命令だとするベンサム主義と同じではないか」「法律と人間との関係を真剣に考えない人々なのではないか」という疑問を投げかける。 
これら自然法派と自然権派の二大保守思想に対して、人権派=リベラル派は、総体的には自然法を認めつつも、その議論にあまり踏み込まないで、もっぱら人権に則って、貧しい人々や黒人や同性愛者や、政治的に弾圧されている人々を助けよう、という考え方で動く人々だ。 
それに対して自然法派の永遠の保守派の人々は、「その貧しい人々の人権を実現するためのお金は一体、誰が、どこから稼ぎだすのだ、できもしない相談や無理な注文をしてくれるな」「救えないものは放っておくしかない」「人間は生まれながらにして自由で平等だなどというのは、自分勝手な空想だ」と言いたげである。 
人定法派 リバータリアンってどんな人たちなの

私は、バーキアンでもロッキアンでも人権派でもベンサマイトでもなく、パラサイト。『現代アメリカ政治思想大研究』は分り易くて良いね。 


P135 positive law人定法(実定法)派である。大きな意味で自然法を認めるという点で、自然権派、人権派は自然法派に含まれると考えてよい。 
ポジティヴ・ローpositive lawというのは、法は人間が決めるのであって、神や自然のような、目に見えない幻想が決めるのではない。「法」とはこの地上の人間が定めるものであって「天」や「神」や「自然」が決めるのではないという。自然法に対する痛烈な批判から始まった考えである。 
P136 人定法派の創始者は、イギリスの18世紀の哲学者・法思想家のジェレミー・ベンサム(1748-1832)である。彼は学生時代、当時のイギリスの最高の法学者であったオックスフォード大学教授ウイリアム・ブラックストーン卿(1723-80)の法学の講義を聴いて勉強したのだが、のちにベンサムはブラックストーンの考えを嘲笑して、「どこにそのような、神とか自然の摂理とかとかいうのがあるのか」「どうやったら、人間の秩序を支えている、そのような永遠の法則なるものを見ることができるのか」と批判した。 
加えてベンサムは、ロックの自然権も批判した。生命・身体・財産の自由は人間が生まれながらにしてもつ固有の権利であるとする自然権natural rightsに対して、そんなものは「竹馬の上にくくり付けられたタワゴト」と言い放った。 
ベンサムは自分が打ち立てた重要な哲学原理である功利主義Utilitarianismに従う。功利主義とは、「人間は快楽・幸福を求め、苦痛を避け酔うとする行動する生き物である」という原理であり、この大原理の下に、人間社会は「最大多数の最大幸福」の原理に従って成り立っているとした。功利主義は現在も生きている人類史上の大思想の一つである。 
ベンサムの立場からは、したがって、法は人間が定めるのであり、何が正しくて、何が善であり、何が公平であるかは、全てこの地上の現実の人間たちがよくよく議論して決めることであって、予め神や自然の摂理が決めるのではない、となる。 
このベンサムの功利主義思想を、法哲学分野に置き換えたとき、まさしく「リーガルポジティヴィズムlegal positivism」となるのである。 
P138 こうしたベンサムの思想を体現する人々のことをベンサマイトBenthamiteと呼ぶが、彼らは温厚な永遠の保守思想を説くバーキアンBurkeanたちと争う。バーキアンの立場からは、「社会道徳とか穏健な秩序というのは、伝統の中で育まれ、より良き社会に確実に実在するものである」となる。 
この温和で健全な保守思想に対して、「何を言うか、倫理とか道徳というのは徹底的に個人的なものであり、社会を支配するものではない。それは貴族や僧侶たちが民衆に向かって偉そうに説教するときのお定まりの道具にすぎない」「何より重要なのは、経済である。社会は経済さえしっかりしていればいいいのである。余計なことにまでいちいち下らない説教を垂れて、個人を縛るな」とベンサマイトは反論する。
「何よりも秩序が大切なのだ」とか「国家が個人に優先する」とか「税金を払うのは当然の国民の義務だ」とか言うバーキアンに対して、「個人生活に余計な干渉をするんじゃない!」というのが、ベンサマイトの主張である。 
そして、現代のアメリカでこのベンサマイトの保守思想を継承し、アメリカの自衛武装開拓農民魂(パイオニア・スピリット)を強固に体現する人々こそが、まさしく、リバータリアンLibertarianと呼ばれる人々なのだ。 
このリバータリアニズムは、今や共和党の内外で一大政治勢力を築いている。それに対してバーキアンの方は、共和党内の主流派保守の立場であって、「世の中をなるべく上手い具合に纏めて、政治優先で、政治指導者たちの力によって秩序を保ってやって行った方がよい。結局その方が、経済も上手くいくのだ」とする考えである。
だからアメリカで保守本流Traditional Conservativeというのはこのバーキアンの政治的エリートたちのことであり、それは高学歴や出身家庭の裕福さに支えられて高級官僚や議員になったり、企業の役員に天下りできるような人々のことなのである。 
したがって、彼らの好きな言葉は、「温和な秩序」である。「急激な改革」ではなく「漸進的改良」である。加えて「社会倫理・道徳を大切にしよう」であり、「伝統重視」なのである。 
これに対して、ベンサマイト=ポジティヴ・ロー法人定主義の法学者たちは、社会道徳とか伝統重視ということを、絶対言わないのである。ベンサマイト=リバータリアン保守派は、共和党の連邦政府の官僚になることなど決してないような一般大衆の中の保守派の人々である。 
もし今のアメリカで、ごく普通の商店主や小企業経営者や農場主たちに自分の政治思想を語らせれば、たぶん、それはリバータリアニズムである。 
実はこのリーガル・ポジティヴィズム法人定主義の牙城は、歴史的にドイツの法学者・法律家たちなのである。彼らは天とか神とか自然が、「人間にこれこれこのように教えた」という言い方を好まない。ドイツの哲学者や法学者は昔から、徹頭徹尾ガチガチの理屈屋であるから、英米人と違ってどこまでも理屈で押し通そうとする。するとやはり、彼らは法人定主義にならざるを得ない。 

・副島隆彦を語るスレ 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/comic/3438/1153553991/ 
この二日、中川 八洋や副島隆彦が宮台をとりあげこき下ろしているのを目にした。嫉妬心なのか? 

・中川八洋+渡部昇一コンビによる『教育問題憂国本』の面白さ。 - 荻上式BLOG 
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20070206/p1 

切ないねぇ


P146 人間はそもそも、「実際には自由でも平等でもない」生き物である。25年間住宅ローンを払い続けなければ自分の住居さえ手に入らない人と、生まれた時から資産のある人の生活上の差を、縮めることはできてもなくすことはできないだろう。あるいは、会社の従業員である人々と、企業の経営者である人々との対立を消し去ることはできない。そしてこの「貧富の差」や「社会階級」を一気に消滅させようとする理想主義の運動が、これまでに、この地上でどれほどの政治的惨劇と大量殺人を招いてきたことか。 
では、自然法のバーキアンの保守思想と、現実の政治体制を実務的に守り抜くべきだという、現実保守の自然権派(ロッキアン)との違いについて、再度考えてみよう。 
自然法と自然権では、生き方、人生の身の処し方が、やはり相当に異なる。現実保守の自然権派は現実政治の脂ぎった権力闘争を実際に肯定し、それに参加し、その渦の中で自分の立身出世を考える。それに対して、自然法派は、「現実の汚い政治」を大変嫌って、それらに近づこうとしない。自然法派はできることなら山の中にこもって隠者となって生きたい人々なのである。だから自然法派は、「永遠の相の下の」保守思想なのである。 
では、自然法派とポジティヴ・ロー人定法の違いはどうだろうか。人定法派(ベンサマイト=リバータリアン)は、中小企業の経営者や独立自営農民の思想であるから、やはり自然法よりももっと強固に、「人間にどうしようもない現状は、やはりそのまま放っておくしかない」「自分の生活を守るのが精一杯であり、自分の生活が最優先する」「国家や社会が自分にメシを喰わせてくれるわけではない、その逆だ」という態度をとる。 
P147 すなわち、彼らは自力救済を愛するのであり、自助努力の人々である。はじめから社会や他人をアテにする人間を嫌う。人間の救済というのはそう簡単にできることではなく、かつあり得ないことだ、という点ではバーキアンと一致する。バーキアンと異なるのは、そのことをためらわずにはっきり言うことである。「自分たちには余裕がないから、飢え苦しんでいる人々が世界中にたくさんいるとしても、救えないものは救えないのだ」ということを公言し、かつ、そのことで少しも悪びれないことが、このポジティヴ・ロー=リバータリアン保守派の強さである。 
だから日本には、元祖リバータリアン政治家のバリー・ゴールドウォーター上院議員などは、リベラル派からすれば冷酷非情の強欲人間のように伝わっている。リバータリアンたちの生活実感は、開拓農民として苦しい人生経験の中で培われた、旱魃のために作物が穫れず、飢えに苦しむこともあったアメリカ国民のことを、私たちはあまり知らない。リバータリアンの原型は、西部開拓時代に、インディアンに襲われて惨殺された仲間の開拓農民たちを可哀想と思っても、それを沈着冷静に見つめ、さらに自分の家の防備を固めることに気を配る開拓農民の姿である。 
「白人が殺されえた」といって、それを新聞記事にして大宣伝をして憤慨悲嘆してみせるような、大都市ニューヨークの偽善者たちとは違うのである。この人権派のヒューマニストたちが次に何を言い出すかは、容易に分る。「その犯罪者のインディアンどもを逮捕して徹底的に処罰するために、騎兵隊を派遣しろ」である。ここにはインディアンの立場はかけらもない。そして、インディアンのさらに外側に存在するアジア人、日本人への視点がどのようなものなのか、容易に分るのだ。
「世界のどこそこの紛争地帯で、難民となって飢えて苦しんでいる人々が何十万人、何百万人います。さあ、彼らを助けましょう」というようなことを、テレビの画面から視聴者に向かって説く人々の中にこそ、偽善を観なければいけない時代がきている。彼らテレビキャスターたち自身はは、情報産業における情報商品の伝達者にすぎない。「どこどこで人々が飢えている」ことを情報商品として、次々に売りさばいているだけの人々である。「苦しんでいる人々をなぜ助けないのですか」という理屈で迫ってくる人間たちの中に、正義の仮面をかぶった真の悪を見ないわけにはゆかない。 
P148 「まずあんたが行けよ」と冷めた目をした今の若者なら言うだろう。日本人にも、これらの偽善的なヒューマニズムの脅迫に屈しない「反福祉・反税金・反国家」のリバータリアン保守派的な人々は、歴史的に存在したのである。あれこれの人類博愛理論の本質を見抜いてその悪を良く知っているという意味では、自然法派の保守伝統思想(バーキアン)と、ポジティヴロー派のリバータリアン保守派(ベンサマイト)の思想は、いい勝負であり、共通している。 
しかし、リバータリアンの方が、庶民の目としてバーキアンよりもはっきりと全ての事態を見抜いているというべきだろう。リバータリアン派は、自然法の保守思想の隠遁生活を好む仙人たちと違って現実の生活で苦労している生活保守派であるから、道端に倒れている飲んだくれの浮浪者を救け起こそうなどとはしない、ただ通り過ぎるだけだ。 
ところが、これらに対して、自然権派の現実的官僚的保守主義者(ロッキアン)たちは、もっと恐るべき人々である。彼らは自分たちが握り締めている現実の政治権力を維持するために、あろうことか、人権派と歴史的な裏取引をするのである。人権派=リベラル派(かつ、旧来の社会主義者信奉者たち)の勢力と妥協して野合し、彼らをうまい具合に抱き込み、彼らの「福祉、福祉、何が何でも福祉」「福祉のために国家が存在するのだ」(福祉国家論)に迎合せざるを得ないように装って、自然権派と人権派の利権大連合を形成する。「ばらまき福祉」と「海外援助」と、その結果としての「この際税金を取れるだけ取ろう」という、役人根性丸出しの行動法則に従う。人権派からすれば、「もっとお金持ちと大企業に増税せよ」である。自然権派と人権派は、結局、野合するのである。 
日本の55年体制が自民党と社会党の露骨な野合内閣につながったのも、この考えに立つなら説明がつく。自然権派も人権派も、官僚たちは各種財団や福祉施設にポストを作って自分の生活を救うために天下りする、天下り役人の群れと化す。すなわち、増税主義者になってゆく。国家財政が傾こうが、民間経済が疲弊しようが、おかまいなしである。福祉が何よりも大切という人は、まず自らが奔走して税金をたくさん払おうとする人でなければならないはずなのに、である。