2014年1月27日月曜日

自由と拘束について-偏愛記録

余りの自由に置かれると、拘泥せねばならぬ事象が過剰に増えてしまって、却って本当に表現したい内容が疎かになってしまう虞が生ずる。そこで音階という縛りを課すのである。【音楽は美しくあるべきか-創作田園地帯】リンク

芸術が固有に備える制限によって、その想像が鈍ってしまうのではなく刺激される時、人は詩人となる。(ポール・ヴァレリー)【「制限」が創造性を高める理由 « WIRED.jpリンク

型破りってのは型があるから言えるので、型が無ければ形無しだ。(中村勘三郎

型があるからこそ自由になれるのです。『引き算の美学』【画像】リンク

吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。(夏目漱石)

・芸術は拘束より生れ、闘争に生き、自由に死ぬのであります」(太宰治)リンク

自由さの中でどれだけ自由に動けるかという可能性の広がりこそが面白いのであって、可能性が引き出される余地のない無制限さは、くだくだしてしまりがなく、飽きてしまう。 /『風の旅人』編集だより :自由についてリンク

・自由自在に動き回ると見える人ほど、体や思考を競技それぞれの拘束に順応させている。(小説の自由-保坂和志)リンク

ある有名な映画監督がこんなことを言っていました。99%決められていて制約があったとしても、残り1%でどれだけ自分を表現するか。みたいな。-制約と自由リンク

・最も規律があるところに自由があり、最も自由なところに規律がある、という精神は、まさに英国の精神の骨頂だと思います。つまり、規律なき自由は、放縦であり、自由なき規律は専制だからです。【池田潔『自由と規律』(岩波新書)】リンク

校則程度に潰されてしまふ底の脆弱なる「個性」なんぞは、とつとと潰れて無くなるが良いのである。【個性禮讚の風潮についてリンク

・ここで注意すべき点は・・・もっとも自由な職人でさえ、たとえ理想的な条件の下で働いているにしろ、仕事を強要されているのだという点です。芸術における創造性の契機を強調しすぎること、たとえば美の創造を、厳しく辛い艱苦や努力もいらず、技術のたゆまぬ習熟もいらない、ただひとつ情熱的で自発的な活動を長く続けることだと思いたがるのは、明らかにその人が素人で部外者であることを示す特徴の一つである。『現代文明を考える-芸術と技術』【画像】リンク

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