2013年2月2日土曜日

この世界について最も理解できないことは、それが理解できるということである

遠い記憶を求めてシークエンス。拙mixi日記2008年07月24日コピペ。

(メモ)『身体の文学史』(養老孟司)P8 より 

シーラカンスから人に至るまで、すでに5億年が経過している。なぜそれが、一時間で読める「物語」になるのか。(中略)進化を含め、歴史を客観的事実の連続として記載すれば、作業量は無限になってしまう。全地球にわたる、5億年の歴史を記述するには、5億年以上が必要であろう。(中略)歴史はつねに主観、すなわち脳の機能である。数億年なり数千年なりを、数時間の記述にまとめてしまう。(中略)その根拠はこの際どうでもよろしい。それが可能であると、脳は信じている。(中略) 
歴史は、(中略)時空系の処理形式の一つである。その形式を、昔から「物語」と呼ぶのであろう。だから、歴史は神話からはじまる。 
P57 哲学者のポパーは、世界を三つに分ける。世界1は、唯物論的、客観的な物質世界である。世界2は、他人にうかがうことのできない、個人の内的世界である。世界3は、哲学や科学のように、共通普遍性を持った、心の世界である。 
世界3とは、近世以来のこの国の伝統では、むしろ社会的自我とすべきであろう。学問の普遍性、芸術の普遍性それ自体は、唯一絶対の神不在のこの国では、意味を持っていない。普遍性とはすなわち、社会的普遍性、言ってみれば多数決であり、制度である。それは「共有されうる」からである。そこにむしろ、「共同幻想論」の源があろう。 

                  (ref.)知の統合 http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/2ndPrism.htm 

(メモ)『生命の塵』(ド・デューヴ)P409 より、 

世界1は「物理的実体からなる宇宙」である。それは物質的な宇宙から構成される。人間の脳も含めて生物はすべて世界1に属する。ポパーの世界3は、文化の世界である。それはすべての抽象的な考えと概念を、すなわち科学的理論、技術的原理、美の基準、倫理観、宗教的神話、その他人間の精神が創造したものをすべて包括する。 
人間がつくったほとんどの物、すなわち道具、機械、家屋、衣類、ディスク、絵画、彫像、その他の人工物などでは、世界3と世界1が融合している。そのような人工物は物質からできているが、世界3の刻印が刻み込まれている。世界2は、世界1と世界3の中間にある境界領域である。それは精神の領域であり、世界1に属するニューロン活動と世界3の実体との間にあって双方向変換器のような役目を果たす。(中略) 
私はむしろ、二元論的な意味合いが付きまとうこれまでの物質の定義を捨てるべきだ、というサールの警告に注目したい。二元論と一元論の板挟みから抜け出したいのなら、私たちの持っている物質の概念を拡張して、無限の可能性と、世界3へのアクセス手段とを有する人間の精神もその中に含めるべきであって、(中略)私たちの精神を、物質が特殊な形で現れ出た物とみなすべきなのである。(中略) 
物理学の歴史においては、物質の定義は繰り返し拡張をせまられてきたのであり、ときには釈然としないこともあった。重力、電磁気力、相対性、量子、原子内の強い相互作用と弱い相互作用などという概念をアリストテレス的な物質の概念に次々と追加していかねばならなかった。 
そして、この物質の定義に含める必要が出てきた最新の物質現象が生命である。 

(メモ)『機械の神話』(ルイス・マンフォード)P81 より、 

この物理的な世界は、人間の目によらなければ自身を見ることができず、人間の声によらなければ自身を語ることはできず、人間の知性によらなければ自身を知ることができない。(中略)生命のない物質と呼ばれるものは錯覚である。というより不完全な知識にもとづく今や時代遅れの表現である。というのは、「物質」の基本的な性質のうちで、(中略)長いあいだ物理学者に知られないでいた性質が一つある。すなわち、(中略) 
生きた有機体を生みだす傾向である。食事のたびにわれわれは、「生命のない」分子を生きた組織に変える。そして、この変化とともに、感覚、知覚、感情、情緒、夢、身体的反応、提案、自立活動--いっそう豊かな生命の表現--が生ずる。 
これらすべての能力は、ライプニッツが指摘したように、なお探らなければならない他の多くの可能性とともに、原初の元素の構成のなかに潜在的にあったものなのだ。人間自身の発達と自己発見は、宇宙過程の一部である。人間は、ことばの発明によって自身の存在に気づくようになった宇宙の小さくて少ないがきわめて貴重な一部であると言えよう。『機械の神話』P81 

(メモ)オピニオン 和田 昭允 氏「生命は物質の特別な状態だ -その統一的理解に向けて-」 
https://scienceportal.jst.go.jp/columns/opinion/20061016_01.html 

物質の定義が拡張してきたように、数の定義も時代とともに拡張を遂げた。 

(メモ)オイラーの公式http://tinyurl.com/2fzt4a 
フォトフォト
http://tinyurl.com/5dyccv 公式の幾何学的解釈;複素平面における半径1の円周上の点。 
θがπ(半円弧の長さ、つまり180度に対応)とき、フォト

これは、何を意味するか? 

世界1 -- 物質 -- 実数                        現実界 
世界2 -- 精神 -- 虚数                        想像界 
世界3 -- 人工物、文化、制度など -- 複素平面上の点     象徴界 

すなわち、 

(メモ)『虚数の情緒』吉田武 2000 東海大学出版会 
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1005.html 

西洋の一次元的な見方を数直線に譬えれば、東洋のそれは複素平面、大小を超越した虚数の世界にある、といえよう。
虚数の情緒とは、この意味なのである。 

それはそうと、この本、すげーです。何とかお金を工面して今年中に手に入れたい! ←2010.07入手(ブクログ
(メモ)最も重要な行為は,「人の心に火を点(つ)ける」こと 
http://www.h6.dion.ne.jp/~hsbook_a/shoseki.html 
(メモ)オイラーの贈り物 2008年4月号 | 教務エッセイ(算数) | コラム・読み物 | 日能研 
http://www.nichinoken.co.jp/column/essay/sansu/2008_m04.html 

(メモ)人は足すことをやめない 無限まで足す パート1 http://tinyurl.com/5e2mhe 
フォト
これはどういうことかというと、アキレスは亀に追いつけるということです! 
http://tinyurl.com/5dmf7c 

ゼノンのいう「アキレスが亀に追いつけない」というのは、単に 
アキレスが亀に追いつく位置より前では、絶対に追い越せない 
という、ごく当たり前のことを述べたに過ぎない 

ということだったのです! 

(メモ)人は足すことをやめない 無限まで足す パート2 http://tinyurl.com/6fa9ao 

(メモ)有限の先にはない無限 ζ(ゼータ)関数 パート3 http://tinyurl.com/6munl4 

1+2+3+…= ∞ と 1+2+3+…=-1/12、どちらも正しいのです。 

これはどういうことか? 

無限大は、-1/12であり、ゼロであり、1/120でもあるのです。さらに、計算すればもっとたくさんあります。つまり、無限とは有限でもありうる、無限と有限は繋がっている、というわけです! 

ええーっ!!!!!!!!! 

数学は答えが一つとよく言われますが、そうではない、ということです! 

どういうことかというと、 

直線上で考えると、1+2+3+…= ∞、直線すなわち実数世界を含む大きな数の世界~複素数平面~で考えると、1+2+3+…=-1/12、 

無から有、有から無、むむ、ということで、 

(メモ)たかが「虚」、されど「虚」 
http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2004/07/post_1.html 
(メモ)この手があったか! - 書評 - 日本という方法 
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51082324.html 

に繋がりました。 

(メモ)有理数(rational number)、無理数(irrational number) 
有理数は整数比(分数)で表すことができる数ということで、有比数と呼ぶべきだ、という意見がある。割り切れる=合理的、割り切れない=不合理、と考えれば、有理数でいいような気もする。1/3は割り切れないじゃないかー、という意見もあるが、循環小数は割り切れるの内に入れてもよいと思われるので、いいんじゃない。 

あと、 

藤原正彦・小川洋子『世にも美しい数学入門』 
http://blog.goo.ne.jp/kisawai_2007/e/871b297b618a549d3d1c3083280a0fd1 
ゼロを発見したインド人と負数,無理数,虚数の受容に苦労した西洋人 

というのも面白そう!

0 件のコメント:

コメントを投稿