2022年3月8日火曜日

偏愛メモ モダン・ダンスとロマンチック・バレエとクラシック・バレエ

eternityより移行
有吉京子『SWAN-白鳥-』
(3)P66より(コヴェント・ガーデン劇場で「ロメオとジュリエット(ルドルフ・ヌレエフ&マーゴット・フォンティーン)」を見終わったときのフェルナンドと真澄)

(フェルナンド)
むろん、それでもテクニックさえすぐれていれば、人は本物のようだ・・・と感心はしてくれるよ・・・

感動じゃなくて感心はしてくれる しかし それはあくまで本物のようなニセ物でしかない!ところが・・・だ!この本物になれる人がいる!

(真澄)
それが・・・マーゴット・フォンティーン!?

(フェルナンド)
この本物になりきれるか否かというところに舞踊家の質をきめる創造性の有無があると思うんだ・・・

(真澄)
創造性っていうのはいったいどうやって・・・

(フェルナンド)
・・・自分を豊かにしていく以外にないね

たった一つのパにもその舞踊家の創造性がなければ人を感動させたり共鳴をあたえることはできない!

ただすぐれた思想や信念がこの創造性を豊かにして精神の格を決め踊りを本物にする!反対にいえばぼくらがいまいくらテクニックをみがいてもこの創造性をやしなっていかなければ生涯ニセ物のままでおわってしまうということなんだ

(真澄)
・・・・・・おそろしいわ・・・

(フェルナンド)
そう・・・じつにおそろしいね
バレエにかぎらずどの世界でもものを創造する芸術というものには底がない・・・・
身ぶるいするほどおそろしいものだよ

画家にしたってそうさ!
あれは絵をうまくかくことだと思っている人がいる!
絵がかければ画家になれると思っている人がいる
でもそうじゃないんだ!

ものを創造することなんだ!

絵はあくまで一つの手段にすぎないんだよ!! 舞踊家は踊りで画家は絵で音楽家は音で  みんな そうやって根底に流れる自分の思想や信念を 表現していくことにはなんらかわりはないんだよ!!

だから・・・

君もぼくも だれもかれもが おなじバレエの道を志した以上は 
内なるものの完成という なにものにもかえがたい喜びをえるために
生涯苦しみ悩まなければならない

内なるものの完成
生涯苦しみ悩む気が遠くなるほどの長い道のり・・・
むくわれるかどうかもわからない・・・・・

ただ一つだけいえるのは・・・・なんていったらいいか・・・
たとえば道は一つでもまったくおなじ足あとをたどる人間は
ひとりとしていないということなんだよ!わかる?

こうやって人の舞台をみるのも大切だけどそこでえなきゃならないのは フォンティーン自身の舞踊家の素晴らしさであってテクニックじゃない

もっともこちらにその目が開かれていなきゃテクニックしかみえないけど

(真澄)

いつか・・・わたしにもわかる時がくるだろうか
なにもかも水が大地をうるおすように

ボリショイ特別公演(新演出『白鳥の湖』)主役選考審査会編

(4)P129より
まるで・・・夢の世界をみているようだ
いや 夢というより この透明感のあるバレエは・・・
1800年代当時この世のものならぬ天上の世界こそが
ロマンチック・バレエの真髄であったころの・・・
マリー・タリオーニのバレエ芸術

彼岸の国の妖精とたたえられたラ・シルフィード!!

この少女のバレエの世界は・・・
はるか百幾年をこえてあの時代を彷彿とさせるのだ!

(4)P136-139より
し・・・しかし、マリー・タリオーニの彼岸的世界とはいったい・・・!?

人は天をめざす・・・イカロスのように天空たかく飛翔しようとする
それは地に生き土にかえる人間の宿命から生まれる本能といってもいい

だが じっさいにはこの肉体は大地に足をおろし重力によってしばられている
その現実を直視し舞踊の根源としたのがモダン・ダンスの理論なのだ

昔 イサドラ・ダンカンという女性がいた
世界舞踊史の青年期を生きた人物なんだが
彼女はそれまでの天上の世界の身を追求する19世紀のクラシック・バレエに反逆し

人間の本来の姿(舞踊)こそは真に地上にあり大地を愛するものだといって・・・
ある日 衣裳をすてトウシューズをぬぎ ギリシャ風の薄衣をまとっただけの裸足で踊ったのだ
それがフォーキンやニジンスキーにも影響をあたえるモダン・ダンスへの草分けとなった

このモダン・ダンスというものは、まさにこの大地と土とを愛する舞踊だ

マリー・ヴィグマン(1886-1973)運命の歌
ドリス・ハンフリー「新舞踊」
ポーリン・コナーとホセ・リモン「訪問」

大地をはいもぐりこみ日常生活のまっただ中で根源を求める肉体!
重量感をもち醜悪でさえあり暗黒を志向し大地を慕いそこでのみその存在理由を主張する美だ!!

そしてロマンチック・バレエとは、

このモダン・ダンスにことごとく相反する天上の世界に息づく・・・天と空気の美学だ!!

モダン・ダンスは 瞬間が確立したフォルムとしてとらえられるが クラシック・バレエは流れるような曲線で踊られた

モダン・ダンスは 体全部で大地に接触するが 
クラシック・バレエは ただ点においてのみ大地と接触した

そして

モダンダンスは 質量によって大地ととけあい 
クラシック・バレエは 跳躍や旋回によって空間を征服していたのだ!

1832年マリー・タリオーニによって舞踊界に新時代をもたらした・・・

このトウでたつということは・・・

まさに・・・わずか1.5センチの点を残していまにも大地からとびたとうとする
人間の限りない夢と憧れを象徴しているのである

・・・だが その後百数十年の歴史をへて

クラシック・バレエは 踊りの妙技を発揮ししかも様式美を重視あるようになり
天から大地にひきもどされつつある

なぜ人は天上をめざしながらいきつくことができないのか

答えは・・・かんたんだ

人間の可能性は肉体に支配され限界もまた肉体にあるからだ

では・・・・

ロマンチック・バレエ時代の肉体を超越した天上美はもう存在しないのだろうか

否!!

現在マーゴット・フォンティーンのもつあの芸術美こそ
まさしくマリータリオーニの精神の世界をとびかう”霊感”に値するものである

だが・・・

この世界にはいることが許されるのは生涯をバレエにかけいつか自分自身がみいだす本来の姿を・・・もっていた人

その・・・マリー・タリオーニの霊感の世界に現在のマーゴット・フォンティーンの芸術の世界に通じるものが

すでに・・・わずか16歳のこの少女にはあるのだ

東京世界バレエコンクール編

(7)P12より(二次審査創作課題『愛の伝説』内因表現に悩む真澄にセルジュ・ラブロフスキー(真澄の母親の元パートナーであり恋人)がレッスンを施す)

人のために自分の意志を殺すことは美徳だろうか
それは・・・ワガママで身勝手なものだとわかっていながら自分に正直にふるまうことは罪悪だろうか

人は感情で生きている
誰の心にも欲望はある
人生は美しいことばかりじゃない

人とゆずりあい助けあうのもいいだろう
・・・・が しかし なにをすててもつらぬかねばならないことが 
人生にはかならずあるはずだ

じぶんをおし殺せるうちは本物じゃない
人にゆずれる恋なら・・・
本物ではないんだ

(7)P102より(このあと、始まったリリアナの創作バレエ『アグリーダック』振り付けは父親のアレクサンドリア・マクシモーヴァとアレクセイ・セルゲイエフ)

(会場)
うーむ どういうことなんだろう
まったく!ソ連にしてはずいぶんと大胆に冒険したものだ
天使のイメージをここまでくつがえすとは・・・

しかも・・・天上美からはほどとおい
あの地をはうような踊り・・・

まるで・・・なにかにおびえているみたいな・・・・
ホント・・・
なんて人間くさい踊りかしら
悲しくなっちゃう

(真澄)
いったい リリアナが・・・なぜこんな踊りを

(アレクセイ・セルゲイエフ)
思ったとおりの反響だな・・・
リリアナのイメージが美しくあればあるほど
このあとの効果がある

(会場) ほら ちょっと まって なんだか かわってきた え?

み・・・みた? 信じられない・・・・

(それは まるで・・・夢をみている・・・ような瞬間だった)

・・・・うまれかわったわ

(ボリショイバレエ団総裁)
これまでのバレエのイメージをある意味大きくくつがえす
これは・・・コンクールにとどまらない深い意味をもっているバレエだ

(8)P98より(最終審査『レ・シルフィード』真澄とレオンとのパ・ド・ドゥ)
(真澄)
あ・・・体が軽い!踊りやすい・・・!?初めて踊るのに
わたしと京極さんの身長や体重のちがいもタイミングのとりかたも
すべて心得ているようなリフトだわ!

まるで羽のように軽く・・・体が
体がどんどん柔らかくなっていくのがわかる・・・
上半身が解放されてこんなに自由に動くなんて
ポール・ド・ブラがこんなにしなやかにできるなんて

(葵と草壁)
真澄ちゃんの踊り・・・?なんだかどんどんかわっていく・・・
あの”黒鳥”や”愛の伝説”の時の・・・個性とは まったく違うものが・・・?
そりゃ踊りそのものが違うのだからそうならなきゃいけないけれど
こうもみごとにあの二つの踊りから脱皮してしまうなんて!

彼女の・・・多少線の硬い踊りからは想像もつかないほどきていになってる!
あの肩のラインや背面の表情もみごとなシルフのスタイルをえがきだしているじゃないか!
みろよ!あの腕の動き脚のはこび!すごいよ!
・・・いったいどうしたんだ こんな急に

彼が原因か

微妙だがたしかに彼の補助は女性舞踊手より数分の1秒早く正確なポジションをとっている
女性舞踊手は彼によって常に正しいスタイルに修正されていくわけだ
ああ!たしかにバレエはパートナーしだいだということはわかっちゃいるが

いや・・・それだけじゃない!

あのパートナーは彼女のなにかをひきだそうとしてるんだ!
ああ・・・そうだ!
たしかにいるんだ!
はじめてくむパートナーにちがった輝き方をさせる人間が!

・・・・
・・・・

そんなに 強烈だったのか・・・?
リリアナの踊りは

・・・
・・・

ああ・・・ あ・・・あ

(真澄)
葵さんともちがう!
草壁さんと踊った時とも・・・ちがう
この人は・・・

・・・
・・・

(葵と草壁)
こういった舞踊パーソナリティをもったタイプは
ヘタをすると女性舞踊手の個性を殺してしまう危険性をもっているはずだ

それが

彼女の踊りがこうも鮮やかにうきでてくるということは

このふたり・・・もしかしたら

(8)P128より(最終審査『レ・シルフィード』真澄とレオンとのパ・ド・ドゥが終わって、称賛の嵐の中、真澄とレオンとの会話)
(真澄)
あなたのかおかげで最高の踊り・・・を ホントになんて・・・ (レオン)
最高の踊りだって・・・?・・・あれが?

あんたには・・・あれが 最高の踊りなのかい?

8)P150より(レオンに冷たく突き放された真澄は動揺し耳が聞こえなくなる(彼女には追い詰められた状況から逃げようとして意志とは裏腹に身体症状がでてしまう精神的弱点がある)。二回目(草壁とのパ・ド・ドゥ)を控えての草壁とセルゲイエフの会話)
つまずく たすけおこされる すがる
なにかおこるたびに かならずだれかがそばにいて 手をさしのべる
きみでも京極や葵たちでもいい

本人も周囲もそれと気づかずに くり返すうち いつのまにか意識下に甘えがでてくる
そういう自立できない精神状態ではなに一つ安定したものは得ていないということだ

で・・・でも このごろ彼女はいっそう実力をつけて
”愛の伝説”や”黒鳥”も!さっき踊った”シルフィード”にしたって
たいへんなのびようです

わかってる だからこそ よけいにこのままでいることは危険だ!
いつ爆発するかわかっていない爆弾をかかえているようなものだ
このままにしておけばもっとひどい結果をまねく

”じぶん”と戦ってより飛躍するか”じぶん”に負けて挫折するか 荒療治だが他に方法がない

(セルゲイエフ)
いいかよくきけ
モスクワで気味の耳が聞こえなくなった原因は・・・
恐怖から逃れようとする精神の弱さが・・・
耳に異常をおこさせるたんだ!!

じぶんの運命はじぶんできめるんだな!

これでもう満足だというんならこれ以上苦しむことはない!
トウシューズを捨ててささっとでていけ
さあ!出口はそこだぞ!

だが・・・これか先も踊りつづけけいくつもりなら
でていく先は舞台だ!!

(8)P186-より(最終審査『レ・シルフィード』第二回バリエーション、リリアナ(ワルツ作品70第1)、真澄(マズルカ作品33第2)。舞台のそでで真澄はリリアナのVAを踊りはじめる)
(リリアナ)←リリアナが人間の感覚を感じた場面だと思われる
・・・やはりそうだわ
ソロを・・・踊ってみるとはっきりわかるわ・・・・あの圧迫感が
背中からぬけるように楽になっているんですもの
だれと踊ってもこんなこと・・・一度もなかったのに

踊っている最中にこんな”気をとられる”・・・・なんてこといままで一度も

(リリアナの父親)
リリアナ! こ・・・これは!?

(袖幕)
あ・・・

真澄さん・・・タオルを
まった!彼女は踊ってる!え?
踊ってるんだ・・・リリアナのバリエーションを袖幕でいっしょに・・・
あ!な・・・なぜそんな いま休んでおかなきゃあとが・・・

いや・・・とめないほうがいい
無意識に動かしているんだよ腕を・・・
いまとめたらかえってはりつめた気がゆるんで
くずれおちてしまうかもしれない・・・

それほど いったん”動き”をとめてしまったら
もうふたたび体を動かせないほど
いま きみをささえているものははかない1本の細い神経の糸なんだ

だれひとりふれることはできない

(セルゲイエフ)
あの目は

あの時・・・話をきいていたのか 事実を事実として正面からうけとめた・・・

現実にたえきれず自滅してしまうか
それとも
その・・・悪条件を無限に吸収し精神の許容量を極大にまで拡げ
実力以上のシルフィードを創りだせるか

(真澄、マズルカ作品33第2)
あ・・・あ
音楽が遠のいていく?
いいえ きこえている・・・わ かすかに・・・
でも・・・?
あれは わたしの体の中に流れる”音楽”をきいているのかもしれない

(袖幕)
・・・なんて・・・きれい (京極)
”シリン”をみた・・・あの時
真澄はなにかをつかみかけたと思ったけど

それは・・・どう踊ろうかとか どこでテクニックをみせようとか
そんな計算や理屈をこえて ただひたすら”無心”に踊るということ

(リリアナの父親)
たいへんなことに・・・なったものだ

(京極)
あ・・・あ 感じるわ・・・ あなたは・・・わたしを こえて舞いはじめる・・・

(会場)
・・・

静寂の中で ただ!
シルフィードの”音楽”とトウ・シューズの床をけるかすかな”叫び”だけが観客の耳に届いていた

ニューヨーク編

(10)P26-より(バランシン編、マージの地味で正確な踊りをみた真澄)
いったい・・・あの余裕はどこからくるんだろう

あの腕!! そうだ! いま・・・たしかにプリゼをやった
ただ走ってきてもいいようなところを しっかり基本をこわさず
あ!またエジャベ
あれは・・・地味で簡単なステップのように見えるけど
本当は ハデなテクニックよりも 基本に忠実で 
ごまかしがきかないから むずかしいんだわ
そう!注意してみるとほとんどのステップがそう!

どこかで・・・これとおなじようなものをみた そうだ!!ロンドン
マーゴット・フォンティーンの あのジュリエットと”白鳥”!

(マーゴット・フォンティーン(真澄の回想))
真澄 際立ったテクニックを見せるにはたいへんな努力がいりますが
それを隠すにはもっともっと大きな努力が必要です
そして・・・テクニックはみせるものではなく あくまで芸術性を積み上げるための
土台としなければなりません

これが・・・マージの個性なんだわ!!

いままでは 彼の感情表現で自分の個性をだしてきたもの
ゆかさんと踊ったオーロラの時だって
ラリサとのオディールだって
リリアナとのオデット
あの”森の詩”のマフカも

どれもこれも”感情表現”が決め手になったもの
だって古典だったから それも当然だったし

それがアメリカにきて モダンバレエという まったく新しい境地にはいって
いきなり頭から 人間の”感情”を否定されて まるでじぶんの個性を見失ったように
訳がわからなくなってしまったんだ

でも・・・モダンバレエに人間の”感情”はなくても

マージのような個性があるんならわたしにも ほかにそういう方法があるかもしれない

(11)P156-より(ジェローム・ロビンス編、ルシィと真澄)
(ルシィ)
エネルギーのことだけど 生命力といったほうがいいかナ
人間の存在自体が一つのエネルギーじゃないそのエネルギーがさ
人間にいろんなことをやらせてるだろう?

エネルギーが少ないとなにをやってもうまくいかないlしさ
生まれながらに人の数倍もパワーをもっている人間は
普通じゃ考えられないようなことをやってのける

・・・
・・・

きみの踊りをはじめてみた時 ぼくにはわかったよ

人はより多くパワーをもった人間を本能的にかぎわけるからね
ぼくもレオンもきみにひかれる理由のひとつには、それがあるな・・・

世の中には持って生まれた膨大なエネルギーをただ使いこなすどころか
まわり中に放出して人をくるわせてしまう人間がいる

ベジャールが・・・そうだよ

しかも彼は人の中に混沌として眠っているエネルギーをひきだし、爆発させ、昇華させることができるんだ!

(11)P196-より(ジェローム・ロビンス編、レオン(パートナーとして真澄に冷たいが恋している)とルシィ(真澄に優しいし真澄もパートナーとしてではなく恋の相手)の会話)
はじめてみたのは・・・”愛の伝説”だったな
あの時・・・たしかに探していたものがみつかったと思っんだ
そのあとレ・シルフィードではじめて踊って・・・確信をもった

たとえば強烈な個性のlでき上がったダンサーは
誰と踊ってもじぶんだけの踊りを保てるが
そのかわり悪い影響もいい影響も受けにくい

そういうのはオレが望んでいたパートナーじゃない
オレの考えるパートナーは

でき上がっていないからこそ刺激に敏感に反応していい影響を受けて
じぶんの力量以上のものを出すことができる相手だ

すでに固まった強烈な個性がないかわりに
無限の可能性を秘めている相手・・・

それが・・・真澄だった 

あの欠点には気づいていたし 

だがそれはパートナーのうえで一番危険な”男女の関係”を切りはなして
おたがいの”踊り”の部分のみでやっていけばいい結果をうむと考えていた

(12)P44-より(ジェローム・ロビンス編、ルシィと真澄との恋に嫉妬してパートナーを降りてしまった(それが原因で真澄はルィは駆け落ちしてしまう)レオンのひとりごと)
レ・シルフィードには
彼女の・・まだ完全に表面化していないものの
たしかな手応えがあった

永いこと一人でやってきたおれの
それはどうしてももの足りなかった部分をうめるに十分過ぎるくらいの
充足感だった

だから・・・オレはそれを完成させることばかり考えて・・・
生身の人間としての迷いや感情は邪魔なものだと決めつけてきた

本当は・・・それこそが踊りの”自己の本質”を左右するものだとわかっていても
つきはなしてきた結果が・・・これだ

どうして真澄を責められる

ボリショイ来日公演(みにくいアヒル)編

(14)P36-より(葵と真澄の練習風景を見ているリリアナの母親?と京極京子?)
(リリアナの母親?)
・・・あの子 人と変わってるのよ
体の構造がね 
肉体の苦痛より精神の充実
肉体の疲労より精神の緊張
・・・・
精神が体の本能に左右されないの

それに人間らしい欲とか我とか小さい頃から無縁でね
気持ちがきれいすぎてほっとくと何も食べずに死んじゃうような子だったわ
ほんとに天使かと思ってた

いままではね・・・

(京極小夜子?)
いままでは?

(リリアナの母親?)
信じられないけど・・・1年くらい前から・・・少しずつ変わってきている
なんていうか”人”になってきたっていうか・・・
たぶん真澄があの子を刺激しているんだと思うけど・・・

くやしいけど・・・はじめてよ
リリアナを人としてめざめさせた人間なんて

私には・・・とてもマネできないわね

あなたも以前のリリアナを知っていれば・・・
今 彼女の内で起きている変化が
どんなに驚異的なものがよくわかるでしょうよ

非人間的な体と魂をもつ
クラシックバレエ界の妖精といわれつづけてきた
リリアナと

この数年またたく間に
モダンバレエの世界で最も人間らしい””のバレエを創りあげてきた
人間聖真澄

リリアナのバレエは観ている者を・・・
人であることを忘れさせるただうっとりと現象の世界に導く・・・
ものだけれど

真澄のバレエは
”人間の本質””自己の本質”を根底からゆさぶって・・・
人間であることをまざまざと呼び起こしわたしたちを無性に・・・
何かにむかってかりたてるわ

これほど対照的なふたりが
同じ舞台で同じ役を踊ったとしたら
どちらか片方がもう一方にのみこまれて
しまうおそれは十分にあるわ

ただ あのリリアナさせゆさぶった真澄なら

リリアナのクラシックを
超えるものを創りだせるかもしれない・・・

クラシックもモダンもない
あるのはただ人と人の魂のふれあい

人間の表現する人間の舞踊!!

あんなにも体がモダンのテンポで
できあがってしまっていると苦労していた君が

今の・・・この
クラシックのやらわかさは
どうだ!

(14)P58-より(前半 リリアナ 第1幕~第2幕1場)
(会場)
ホウ!強烈ねェ
なんど見てもドキッとする
まるっきりていさいなしの振付だわ

ホントに・・・
今までのリリアナのイメージって妖精とか天使だったから・・・
よけいこのバレエ人間臭い感じで

でもまあ
そうでなきゃ あのリリアナのモダンバレエも
生まれてこないわよ・・・そうね・・

白鳥にしろシルフィードにしろ
彼女一度も”人間”として踊ったことはなかったもの
その・・・リリアナが

ここまで人間臭い振付に挑戦するなんて
並たいていの苦労じゃなかったでしょうね

それは聖真澄も同じよ

まるでこのふたりそれぞれの正反対の方向から
おたがいに向かってきて・・・

今ちょうど真ん中で行きあたったって感じだわ
何ていうかこう・・・宿命すら感じるわ

(リリアナ)
ここはどこ!
この暗闇は何!
何も見えない何も聞こえない

闇の中から突然現れる
あの生きものたちは何!

(真澄)
あ・・・あ
思い出すわリリアナ
あなたの踊りをはじめてモスクワで観た時の
あのショック!

あの時 私がどれほどの衝撃を受けたか
私の・・・本当の試練は
何もかも・・・あの瞬間から始まった!

あれから・・・私は
ずいぶんながいあいだ こうしてふたたび
あなたと競うことを夢みていたような気がする

そう・・・いつでもかならず
私のバレエ人生に転機をむかえた時
私の頭の中には
あなたの姿があったのだから!

(リリアナ)
ね・・・パパ 聞いて・・・
わたし・・・ね
ずーーっと ながいこと たったひとりで・・・
踊ってきたの

まわりに誰もいない
暗くて・・・ひとりぼっちで

でも・・・今 生まれてはじめて
人の”存在”を感じるわ

舞台で私は・・・
はじめてほかの人と競っているのよ

ね・・・ェ
生まれてはじめて
私 人を意識しているのよ・・・パパ

人間って・・・すごいのね
人の”存在感”ってすごい!
すごいエネルギーを放出するのね

まるですぐそばで
太陽が爆発してるみたいよ

(14)76-より(前半 リリアナ 第2幕3場)
(リリアナ)
私を・・・生まれ変わらせてくれる モダンバレエの世界・・・

(リリアナの父親)
あんな・・・リリアナを
今まで見たことがあるかね・・・
あの子が・・・無心だったあの子が

生まれてはじめて 自分からみせたダンサーとしての確固たる信念だ!

(リリアナ)
パパ 踊るのは素敵!
踊るのは好き!
神様からお借りしてる体を・・・
お返しするまで・・・
私・・・踊って生きるだけなの
踊って生きるだけなの

(リリアナの父親)
あの時・・・
コンクールであのふたりがシルフィードを踊った時・・・
あの子は生まれてはじめて
ほかの人間の存在を意識した・・・

あの時から私は・・・
この日が来ることを
予感していたのかも・・・しれない

(リリアナ)
私は・・・
一人前のダンサーに生まれかわる!
生まれかわってはじめて・・・

自分自身のバレエの世界を創りあげる
この世界が・・・私を生まれ変わらせてくれるわ!!

(真澄)
わたし・・・
真澄さんが金賞かと思ってたわ
(モスクワでの審査会?世界コンクール?でのリリアナの言葉の回想)

みたび・・・
私はあの高みに手をのばす

ここに・・・天使がいる
・・・地上へ・・・
舞い降りてきた天使

私の世界へ入ってきた彼女・・・
私はあの天使の世界へ
舞いあがることができるのか・・・

・・・リリアナ
あなたは・・・・私の世界へ
私は・・・あなたの世界へ

(14)P100-より(後半 真澄 第2幕4場)
(真澄)
絶望に打ちひしがれた悲しみの踊り
リリアナが 自分の人生の転機を
この作品に賭けて踊ったように

私は・・・私のバレエ生命を賭けて・・・
今・・・みにくいアヒルが白鳥に生まれかわると同時に

モダンバレエのカラをぬぎすて
クラシック・ダンサーに生まれかわろう

白鳥のように・・・
クラシックバレエを極める

(会場)
これは・・・
・・・
ああ
・・・
・・・

(リリアナの父親)
・・・
なんだか
1838年の あの・・・
マリー・タリオーニとファニー・エルスラーの
宿命の対決を・・・思い出すよ・・・

ロマンチックバレエ全盛時代の・・・話でね

当時 ラ・シルフィードの成功で
ロマンチック・ダンサーの名を欲しいままにしていた
タリオーニに対して

人間臭い 今でいう・・・キャラクターダンサーと呼ばれていた
ファニー・エルスラーがそれを不服としてね

自分はタリオーニ以上にクラシックを踊れるものだと
彼女に対抗して”ラ・シルフィード”を踊ったんだ・・・

1838年
ふたりが出会ってから5年後の・・・パリ・オペラ座でのことだ・・・
当時バレエ史上に残る世紀の対決といわれた

・・・だが その結果 最高のクラシック・ダンサーとしてみとめられたのは・・・

タリオーニの方だった!

その後 エルスラーは・・・パリを追われ
二度とオペラ座にはもどらなかったそうだ

(セルゲイエフ)
・・・なるほど
タリオーニの”ラ・シルフィード”もリリアナの”みにくいアヒル”も・・・
父親が自分の娘のために振り付けたバレエだし・・・
そのバレエで競っているという点まで・・・まったく同じだ!

時代をこえてよみがえる世紀の対決・・・か!
ああ・・・
歴史は繰りかえすのか・・・

それとも奇跡が生まれるのか

(14)P124-より(後半 真澄 第3幕 葵とのパ・ド・ドゥ)
(京極小夜子)
ええ!ええ わかるわ!
何か・・・起こっている!?

今・・・舞台で・・・
何かが起こっている!?

(リリアナの父親)
なんということだ
真澄は・・・まだ
未完だったのだ・・・

あれだけのものを我々にみせながら・・・
それが・・まだ ほんの一部でしかなかった・・・とは

彼女は・・・
我々の想像をはるかに超えた・・・
大器だったのだ!!

(しかし会場はパラパラの拍手)

(リリアナの父親)
みんな奇妙な顔つきをしている・・・
ああ・・・聖真澄の舞台としては・・・まったく
信じられん反応だよ!

それにしたって
リリアナの12回のアンコールとはあまりに違いすぎる!

(14)P160-より(新聞はリリアナ絶賛、真澄は酷評、真澄は評価されなかった)
(真澄)
あの時・・・
たしかに なにかがみえそうになったんだ・・・
なんの・・・光だったんだろう

体が・・・自然に それに向かって行っているのがわかった
でも・・・行きつけなかった
途中で・・・わけがわからなくなった

みえそうでみえなかった・・・
つかめそうでつかめなかった

あれは・・・なんだったんだろう?

P170-より(リリアナの真澄への告白)

生まれた時 お医者さまから・・・
15歳まで生きられないだろう・・・って
いわれたの

両親は私が・・・なにも知らないと思ってるけど・・・
でも・・・もう私ずっと前から気がついていたのよ自分のことだもの

ただ・・・15すぎるまで生きることの意味をみつけられなかったから
死ぬことが少しも悲しくなかっただけで・・・

でも・・・もうすぐ18になるわ
あれから3年近くすぎたわ

今になって・・・私このまま死ぬことがたえられなくなったの
あなたにもいったけど・・・

できることなら生まれかわりたい!
このままシルフィードで終わるなんて
いや!

”人間”すら感じてもらえない他人のイメージの中で・・・
終わってしまうなんて いや・・・!

もっと生きたい 踊りたい 心を触れあいたい
私を必要として!
私を忘れないで!

はじめて 自分から望んだこの世界で
自分の存在をたしかめてみたい

ね・・・なぜかわかる?

私がこの2年で どうしてここまでかわったか
わかる?・・・真澄

あなたに会ったからよ 真澄!
”私”をめざめさせたのは あなただからよ!

あなたが・・・
泣いている・・・なんて
どうしてそんな
だって 私には・・・みえたもの 真澄

あなたが・・・
昨日の・・・あの舞台で
つかみかけた・・・光が
私にはみえたもの

(真澄)
あ・・・ リリアナ!

私が・・・どんなに・・・ショックだったかわかる?

自分が・・・命をかけて
いつか・・・
つかんで創りあげたいと望んでいるものを

いいえ・・・たぶん
あの時あの劇場にいたほとんどの人たちが・・・
私がつかんだと信じたろうものを

あなたが手に入れたわ!

(リリアナ)
ね・・・ェ
真澄・・・信じる?
私・・・生まれてから今まで
あの時ほど

人の存在を”恐怖”に感じたことはなかったのよ
・・・

あの時 あなたは
とても大きな希望と・・・小さな絶望を
同時にかかえこんだわ

なのになんで・・・
小さな絶望のために・・・
泣くことなんか・・・

・・・真澄

私は生きるわ 生きるかぎり・・・あなたを待っている

真澄・・・

あなたが・・・それを完成してくれる・・・のを

(真澄、レオンの回想)
君くらいのパワーが僕にあったら
奇跡が起こるかもしれない

そして それを・・・ 私にみせてくれるのを

真澄 本当はあんたに会いにきたんだよ 頑張れよ!

あ あ・・・ レオン・・・

関連『混沌からの秩序』P81より
ミルチャ・エリアーデが強調したように、多くの古代文明においては、俗なる空間と聖なる空間とが分離されていた。世界を、偶然や衰退にさらされた通常の空間と、意義深く、偶然や歴史から独立した神聖な空間とにわける考えである。これはまさに、アリストテレスが天上の世界と地上の世界との間に設定した対比である。

アリストテレスが自然の数量的記述の可能性を検討した方法にとって、この対比は決定的に重要である。天体の運行は変化ではなく、永久不変の「聖」なる状態であるから、それは数学的理想化によって記述されるはずである。数学的緻密さと厳密さとは地上の世界には当てはまらない。

不正確な自然現象は近似的記述しかできない。

とにかくアリストテレス学派の人にとっては、ある過程がどのようにして起こるかを記述することよりも、なぜそれが起こるかに興味があり、また、むしろこの二つの面は不可分であった。アリストテレスの思索の主な源泉の一つは、胚の成長を観察することであった。そこでは、見かけ上は独立しているけれども相互に連携した事象が、ある全体的大計画の一部をなすと思われるここの過程に関与してゆくような、高度に組織化された現象がみられる。

発生する胚のように、アリストテレスの自然全体は、目的因に従って組織化されている。変化全体の目的はそれが事物の本性に合っている限り、個物の中に叡智的本質を完成させることである。したがって、生命体の場合、同時にその目的因、形相因、動力因であるところの、この本質こそ、自然を理解する鍵である。この意味において、「近代科学の誕生」、すなわち、アリストテレス学派とガリレオとの衝突は、合理性の二つの形式の間の衝突である。

ガリレオの見解によれば、アリストテレス学派お得意の「なぜ」という質問は、少なくとも科学者にとっては、自然を語る方法としては非常に危険なものであった。他方アリストテレス学派の方でも、ガリレオの態度を不合理な狂言の現れだとみなした。

そして、ニュートンの体系が登場し、新しい普遍性が勝利を収め、それまで隔絶されているように見えたものが統一された。

4.実験による対話

すでに強調しておいたように、近代科学の本質的要素の一つは理論と実践との結婚である。すなわち世界を形作ろうとする願望と、世界を理解しようとする願望との融合である。

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