2022年3月8日火曜日

偏愛メモ 有吉京子『SWAN-白鳥-』 解説(三浦雅士)より

eternityより移行
有吉京子『SWAN-白鳥-』は素晴らしい作品だ。ヒロインはバレリーナを志す少女、聖真澄。物語は、北海道に住むこの少女が、東京へ、さらにモスクワへ、そしてニューヨークへと、その修業の場を移してゆくというかたちで展開してゆく。物語の縦軸になっているのは、次々に迫ってくるバレエ・コンクールであり、(中略)また、物語を横に広げるのは、真澄を抜擢してくれたボリショイバレエのソリスト、セルゲイエフをはじめとする、先輩たちへの愛であり、恋である。(中略)

だが、この作品が重要なのは、バレエへのすぐれた手引きだからではない。漫画がバレエを描くのに、実に適切な表現形式であることを立証したからだ。とりわけ、真澄がニューヨークへ渡って、バランシンのもとで習いはじめてからの表現は圧倒的である。

クラッシック・バレエで育った真澄には、バランシンの抽象的なバレエが理解できない。バレエは物語を語る手段ではない。花が花であるだけで十分に美しいように、人の身体の動きもそれだけで十分に美しい。バレエはただのバレエであっていい。この、バランシンの考え方が真澄には腑に落ちないのだ。

そこで登場するのがルシィである。彼は、真澄のために、ある夜、マンハッタンの小さなスタジオでベジャールの『ボレロ』を踊ってみせる。踊りはじめて以後の十二枚の見開きページは、漫画という表現形式の凄まじいまでの力を語っている。(中略)

コンクールや審査会の連続で読者の関心を惹いてゆく前半は、おそらく作者にとってもそれほど難しくはなかっただろう。だが、ニューヨークを舞台にした後半は違う。そこでは舞踊とは何かが率直に問題にされるのだ。ニ十世紀バレエの焦点ともいうべきバランシンの思想が、真っ正面から論じられるのである。(中略)

ルシィがベジャールについて語る場面の背景は、星雲渦巻く宇宙の絵である。

「人はより多くパワーをもった人間を本能的にかぎわけるからね。ぼくもレオンもきみにひかれる理由のひとつには、それがあるな・・・世の中には持って生まれた膨大なエネルギーをただ使いこなすどころか、まわり中に放出して人をくるわせてしまう人間がいる。ベジャールが・・・そうだよ。しかも彼は人の中に混沌として眠っているエネルギーをひきだし、爆発させ、昇華させることができるんだ!」(以下省略)

関連リンク
有吉京子の「SWAN」 | sanmarie*com

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