2012年5月20日日曜日

人間の進化とエネルギー貯蔵 第3回新エネルギー世界展示会 7.30-8.1

 遠い記憶を求めてシークエンス。mixi拙日記2008.07.10コピペ。



人間は食べたものを酸素で燃やして活動のエネルギーを得ている。酸素は常に補給しなけならないが、食べ物は数時間から一ヶ月?の間に補給すればよい。

なぜか? 酸素は貯蔵できないが食べ物は貯蔵できるからだ。貯蔵のかたちも一通りではない、今すぐ必要なブドウ糖や脂肪酸があまると、グリコーゲンやいわゆる脂肪や(ある意味たんぱく質も)としてしかるべき場所に貯蔵される。http://www6.plala.or.jp/yamaski/sakiko/theory.htm

ちなみに、脳細胞は主にブドウ糖をエネルギー源として利用するのに対し、心筋細胞は主に脂肪酸をエネルギー源として利用する。一方、最大のエネル ギー消費臓器のひとつである骨格筋はブドウ糖と脂肪酸のいずれもエネルギー源として利用する。ただし、骨格筋はブドウ糖と脂肪酸の両方が存在する場合には ブドウ糖を優先して利用する。http://202.216.128.227/%93%A7%90%CD%95S%89%C8/04.19.htm http://202.216.128.227/%93%A7%90%CD%95S%89%C8/04.24.htm http://koujiebe.blog95.fc2.com/blog-entry-40.html

#ところで、酸素は何処で使われるのか?

エネルギーという視点で見ると、食べた栄養素(主に糖質(炭水化物)、脂質、場合によっては、たんぱく質)は最終的にATPに変換される。ATP は(細菌はじめどんな生物もこれを使用することから)エネルギー通貨とも呼ばれ、細胞の活動に必要な様々な化学反応のためのエネルギー源として使われる。 (筋肉の例:http://www.dnszone.jp/contents/nutrition0102.html http://www.sports-n.com/s_run/htm/0202-j.htm

ATPは個々の細胞内で作られる。ATPは解糖系、β-酸化、TCA回路、電子伝達系、酸化的リン酸化反応といくつかの系を通して作られるが、酸素は、電子伝達系の最後のプロセス、酸化的リン酸化反応で使われる。この過程でもっとも多くのATPが作られる。http://physiology1.org/doc/chapter.php?Id=186 http://wokkey.kachoufuugetu.net/learn_about_body.html#move-nourishment_of_cell http://www.geocities.jp/msakurakoji/900Note/07.htm

ここでのポイントは、ATP製造に必ずしも酸素を必要としないこと。酸素を使うとATPがたくさん作れる、すなわち、食べ物に含まれるエネルギーを効率的にATPに変換できる、ということ。

このため、酸素系の細菌は多細胞化、そして、大型化が可能になった。人間もそう。http://www.plantatree.gr.jp/handinhand/message/esashi13.html http://www.brh.co.jp/seimeishi/1993-2002/30/ss_2.html http://d.hatena.ne.jp/mmk_chocolate/20060412/1144832624 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=679364157&owner_id=3300442
 
http://www.plantatree.gr.jp/handinhand/message/esashi10.html

松岡:普遍性は、情報をつまんで貼り付けるカットアップ型か、情報を織り込むホールドイン型の二種類。つまり世の中には編集的現実性しかないということ。
茂木:たしかにコドン(遺伝情報の暗号)の世界も、普遍的な方法をもちながら結果の約半分がミスプリントで成立するわけだから、もともとネット社会は生命体とよく似た体質をもっていることになる。http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2006/11/dairy_nn_1.html

#ここで疑問、

酸素は貯蔵できない、食べ物は貯蔵できる、なんか、バランス悪くないだろうか?

このアンバランスでも生きて来られたということは、食べ物は豊富にはなかったが、酸素は豊富にあった、ということだと思う。裏を返せば、進化の過程で食べ物を貯蔵する能力を獲得したからこそ淘汰されずに生き残ってきたともいえる。

つまり、何がいいたいかというと、貯蔵能力は、生きていく上で思っている以上に大事だということ。進化的に。

そういう意味で、人間の未来は、エネルギー貯蔵の技術にかかっているのかもしれない。要チェックである。

1. エネルギー貯蔵 超伝導
http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/egy/ey10/index.html
2. エネルギー貯蔵 フライホイール
3. エネルギー貯蔵 圧縮空気

これらの技術が、下の技術革新において重要な役割を果たすだろう。

(メモ)エネルギー革新技術計画
http://www.yasuienv.net/EnergyInnovation21.htm

(メモ)よくわかる!技術解説 新エネルギー・省エネルギー技術分野 目次
http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/egy/index.html
(メモ)TEPCO : おもしろ情報館
http://www.tepco.co.jp/pavilion/
(メモ)産総研:太陽光発電研究センター
http://unit.aist.go.jp/rcpv/ci/index.html
(メモ)太陽エネルギーで水から水素を作る(基礎研究最前線)
http://www.jst.go.jp/kisoken/seika/zensen/02doumen/
(メモ)光触媒のページ
http://www.d7.dion.ne.jp/~shinri/


(メモ)北海道洞爺湖サミットにおける『ゼロエミッションハウス』展示について
http://www.meti.go.jp/topic/data/e80617aj.html

(メモ)第3回新エネルギー世界展示会
http://www.renewableenergy.jp/index.html

(関連)燃えやすいとはどういうことか
http://ghoti-sousama.blogspot.jp/2012/05/blog-post_4637.html

ヒトはなぜことばを使えるか

遠い記憶を求めてシークエンス。mixi拙日記2006.07.19コピペ。

「ヒトはなぜことばを使えるか」という本を読んだ。半分は読み飛ばした。というのは、例えば、

P124 動詞を想起しているときは言語優位半球中側頭回の後方が賦活された。色名を答えているとき賦活された領域は、後頭葉視覚領域の中で色の知覚に関与しているとされる領域の直前方(ブロードマンの37野)であり、・・・

てな具合で、専門的記述に降参!!それから「なぜ」というより「いかに」の説明が長すぎたのも一因だな!?「いかに」がなければ「なぜ」もわから ないのだが、まあ、今日は根性が無かったのでしょう、、、(あ、第一章「ことばとはなんだろう」は、音韻の話しとか、それなりに面白いです)

が、第四章(脳・心・ことば)「心の出現と創発について」が面白い。「科学における心」(グレゴリー)を引用しての「創発現象を説明する三つの立 場」についての記述はお宝物。考え方とその動向について、このような分り易い解説は、そうざらにはないですよ。頭が整理されたようでスッキリしました。

以下抜粋。

第一の立場、創発される性質(時計なら、時を刻むという働き)が、部品の一つ一つに潜んでおり、部品がまとまると、その性質が顕在化すると考え る。時計の部品の一つ一つに「時計性」があって、「時計性」が集まると時計になる。この考えを脳にあてはめると、脳を構成する素材にはすべて「心性」が備 わっていて、集まって脳になると、心が現れるということになる。

第二の立場は、創発する性質は機能水準ごとに備わっていると考える。この考えをつきつめると、高い水準の性質は高い機能ににしか現れないから、低 い機能水準が創発する性質から一段高い機能水準が創発する現象を記述することは、不可能だということになる。逆に言うと、高い水準の特性は、低い水準へ還 元しようのないものである。

ここから先が面白いのだが、彼はこの第二の考えをさらに二つに分類している。

一つは、彼が悲観的創発論と呼ぶもので、ある機能水準以上の複雑な創発現象は原理的に永久に説明不可能だ、と考える。この立場に立つと、心は永久に神秘のベールを脱ぐことはないということになる。

もう一つは、彼が楽観的創発論と呼ぶもので、この機能水準の差は絶対的なものでなく、今は理解が困難でもいつかは克服できるものと考える。この考 えによれば、脳の生理学的な機能はいつかは解明され、その機能が解明されれば、さらに一段高い水準の心理現象も解明されるときがくるであろう、という楽観 的な展望がもたらされる。心も生理学で記述できるはずなのである。このとき心理学はお払い箱になってしまう。

第三の立場は、創発特性は部分には所有されていず、機能水準ごとに所有されているものでもない。完全な構造が持つ特性であると考えるものである。この場合、界面性(インターフェイス性)が重要なキーワードになる。

部分は単に部分だが、部分がお互いに界面性を持って全体を作るとき、つまり、部分がお互いに働きあう機能によって組み合わされたとき、全体の特性 が出現する。時計が完全に組み立てられていない場合、部品は単なる素材に過ぎない。部品の界面性によってお互いが結びつけられていないからである。

(中略)

グレゴリーはおおよそ以上のようなことを述べ、第三の考え方の重要性を強調している。この見事な解説に対する筆者の感想は、全体は部分からは見えないが、部分なしでもやはり全体は見えない、というしごくもっともな現象学的事実である。

第一の考え方はアニミズムに近い。万物すべてこれ仏性、という仏教の考えもこれであろう。第二の考えのうち、悲観的創発論は脳の研究者には案外多い。この人たちは、結局、心なんか分りっこないよと口には出さないが、密かに思っている。

楽観的創発論はいま盛りである。コンピューターサイエンスをやる人たちは、脳の仕組みを究めれば心も分るはずだ、と固く信じている。

筆者は第三の考え方を支持する。脳の一つ一つの機能は、それぞれの界面性が対応する機能と結合することで、一つ上の水準の性質を発現し、その水準 の機能がお互いに結びつくことでさらにもう一つ上の水準の性質を発現する、というかたちで機能の階層を上昇して行くものであろう。

心も、ある一つの生理機能水準から、いきなり創発するのではなく、低い段階の働きから、高い段階の働きへと、創発を重ねて生成される。まず、覚醒 意識が現れ、意識から感情が現れ、感情から表象性の性質が現れ、表象性の性質から意図が現れ、という風に、少しずつ水準を上げることで、そのたびに違う性 質を創発してきたのではなかろうか。

まあ、第一は魅力的だけど論外。第二の楽観論なしには、第三の道も開けないとは思います。清水 博「生命を捉えなおす」も、第三の考え方だったと思う。こちらは、生命についてです。

あと、

「大脳両半球にいわばスイッチが入れられた状態になり、心に覚醒意識という明かりが点灯する。この明かりによって、情ー>知ー>意が動き始める」

という記述があって、意識を明かりに喩えるのは、常識みたいですね!

キーワード:自然の階梯(アリストテレス)

2012年5月19日土曜日

意志と表象としての世界

『図解!ニーチェの考え方』を買った記念。遠い記憶を求めてシークエンス。mixi拙日記2009.11.26コピペ。

認識について、感覚と理性という対立軸がある。それについては今朝方つぶやいたものを下記にコピーした。それとは別に、意欲・意志と表象・認識という対立 軸がある。ライプニッツ・カント・ショーペンハウアー・ニーチェの系譜がそれである。以下、『反哲学入門』P173より部分的に抜き書く。
カントは、現象界の因果関係に拘束されず物自体の世界で自由に行為することのできる「意志」と、その現象界に関わる「表象」という理性の二つの能力を、ライプニッツが「単子」の二つの根本特性と見た「意欲」と「表象」から受け継ぐ。

「意欲・意志」の方が、「表象・認識」の能力よりも根源的なものだと見られている。

「意志」「意欲」はむしろ「生命衝動」とでも言った方がいい。弱肉強食の世界でただ生きようとする、どこに行くのかまったく分からない無方向な生命衝動のようなものが考えられている。
---認識について今朝方つぶやいたこと--

プラトンは、物質世界は「常に成るもの(生成・消滅するもの)であって、在るもの(実在するもの)ではない」ゆえに、物質世界には背を向けて、「常に在るものであって、決して生成・消滅しないもの」を目指すように、と説いている。『数量化革命』P30

言葉は、それが表示する物とは少しも似ていないが、それでも我々にその物を理解させる。・・・自然もまたなんらかの記号を定め、我々に光の感覚を 持たせることが-この記号はその感覚に似たものをなにもその内に持っていないとしても-どうしてできないであろうか。デカルト『世界論』

存在といっても、変わってゆく「成る存在」と変わらない「在る存在」があるのだなー。

言葉や数式は変わらない存在を記述するのに適している。変わらない存在(単語や法則)を繰り返すことにより変わってゆく存在を記述することができる。

哲学の言葉に、現実存在(実存)と本質存在という言葉があるが、実存と物質世界(成る世界)、本質と精神世界(在る世界)が対応しているように思われる。訂正→実存と成る世界=感覚=主観、本質と在る世界=理性=客観が対応しているように思われる。

パターン認識は感覚!?理性!?この二つの間には中間色があるのだろう。

たとえば、文字の認識。人が書く文字は同じ文字でも一人ひとり違う。違うと認識するのは感覚。というのは了解できる。でも、同じと認識するのは何 なのでしょうか!?感覚が抽象化(汎化)されているには違いないのだが、理性というほどには考えて認識しているわけではないし、、、やはりパターン認識能 力というしかないか。

さまざまな出来事から法則を見つけ出すようなもっと高度なパターン認識なら、理性(といっても感覚を通して)の働きといえるのかも。

関連 追記2012.05.19/23:53
・アートマン思想(スピリチュアリズム)を否定したのが釈迦。「超天才Dr.苫米地のスピリチュアルのウラ」4/6
http://www.youtube.com/watch?v=s0R3OYqIrII&feature=channel&list=UL#t=6m12s
・釈迦の「毒矢のたとえ」、存在の三視点「空観・中観・仮観」「超天才Dr.苫米地のスピリチュアルのウラ」5/6
http://www.youtube.com/watch?v=ZuWERqgJ2xQ&feature=channel&list=UL#t=5m

2012年5月14日月曜日

宗教としてのユーモア

遠い記憶を求めて、mixi拙日記2006.09.21のコピペ。

「ユーモア学入門」より 要約、抜粋

要するに苦境は超越者に頼るのではなく笑い飛ばせということ。笑いとしての宗教に仏教がある、とりわけ禅宗(註1)がそうなのだそうだ。ええぇーーっ!!!

P193 ノモス型人間は宗教へ向かい、カオス型人間はユーモアで対処する。

中世キリスト教と笑いが一つの主題である小説『薔薇の名前』の著者U・エーコは、「笑いは恐れをなくさせ、ついには人間は神をも笑うようになるから」と、中世のキリスト教が笑いを厳禁した理由をこう指摘している。

クソ真面目系ノモス人間は、信仰という牢獄に閉じ込められた魂の囚人になりやすい。

宗教的信念のエッセンス部分は神議論とよばれる。神議論とは、世俗的な論理からはどうしても納得のゆかない人間と世界の不条理を「神」という観点から説明する論理だ。

たとえば「努力すれば報われる、だから努力しなさい」というのが世俗の論理だが、残念ながら人生や世の中は運命の皮肉や偶然のいたずらがやたら多くあって、必ずしも報われない。

そういった不条理な目に遭っている人たちに、「神」の論理という世俗を超えた図式で説得するのが神議論なのだ。

もともと運命の偶然としかいいようのないものにもっともらしい「意味」をあたえることで、人を安心させ(これを「魂の救済」という)、献身(+献金?)を引き出すのが神議論。

これに対して、世俗の論理(図式)と現実とのズレを愉快と感じるのはカオス型人間、不条理に翻弄される自分を笑い飛ばしてしまうのだ。真面目な自分、苦悩する自分を笑い飛ばすのだ。

その究極に、ニーチェ(註2)の言う運命愛が姿をあらわすのだ。運命の過酷さに見舞われるたびに、「まいったかって?いやまだまだ、いや何度でもかかって来い!おれはおまえを愛する」と叫ぶ雄渾な精神である。

歴史上最も宗教を毛嫌いし、歴史上最も深く笑いを愛したニーチェはこう主張する。

笑いとは、地上で最も深く苦悩する動物が自分のために見出した生に耐え抜くための手段であって、だから人間は笑うこと、自分自身を超えて笑うことを学ばなければならない、と。

ユーモアとは、もう一つの宗教なのだ、そして、実は、仏教がその一つなのだ。

ああ、だから寒山拾得なのね!

自分は、本当に苦しい時笑えるだろうか!?

註1
禅がめざす悟りの境地を描く禅機画のモチーフとして、最もよく登場するのが「寒山と拾得」だが、彼らはたいてい笑っている姿で描かれ、おなじく「羅漢」や「七福神」も多くは笑っている。まさしく、悟りとは笑うことなのである。
註2
『ツァラトゥストラはかく語りき』では、タイトルが仏教の「如是我聞」、主人公ツァラトゥストラはゾロアスター教の創始者、作品全体が『新約聖書』のパロディ。

ワインが安い国に酔っ払いはいない

遠い記憶を求めて、mixi拙日記2008.07.17のコピペ。

映画『幸せのちから』 (The Pursuit Of HappYness)

映画のタイトルは、ジェファーソンの独立宣言にあるthe pursuit of happinessをもじったものだそうです。

トーマス・ジェファーソンの言葉をWEBで拾ってみた!

1.すべての人は平等に作られている。そして、生命の権利、自由の権利、幸福を求める権利、その他何人も奪うことの出来ない権利を、創造者から与えられている。

2.憲法は国家権力に対する猜疑の体系である。

3.活発な精神は常に幸せである。

4.腹が立ったら十まで数えよ。うんと腹が立ったら百まで数えよ。

5.お金を発行する権利は、銀行から取り上げて本来持つべき人たちの手に戻すべきである。
政府が自国通貨を発行しようとすると大統領が殺されるというのは、映画の世界のようですが、リンカーン、ジャクソン(未遂)、ケネディだけではなく、実際に未遂まで入れると、何度も起きているのです(「経済大国なのになぜ貧しいのか?」P62)。2012.05.14/10:31追記

6.A government big enough to give you everything you want, is strong enough to take everything you have.

なんでも与える事ができる政府は、何でも取り上げる事ができるほど強い政府だ。

7.ワインが安い国に酔っ払いはいない

8.見栄は飢え、渇き、そして寒さよりもお金を使わせることになる
9. 何も読まない者は、新聞しか読まない者より賢い。なぜなら、嘘を信じる者より真実に近いからだ(2012.05.14/09:47追記)

2012年5月11日金曜日

愛は脳を活性化する

※mixi拙日記2008.02.23コピペ。(遠い記憶を求めての一環)2012.05.11/11:55

世の中を見ると悲しい面も輝かしい面もある、どうしようもない人間もいれば、すばらしい人間もいる。どうせなら、後者を見て生きたい。自分が前者の人間だから。

目標ではなく夢を持つべきだ、死ぬまでに絶対達成できない夢を持つのだ。そうすれば目先のことなんか小さなことに見えてくる。あくまで非現実的に生きる、これは決して他人にはお薦めできない、私だから持てる私だけの夢。

みすぼらしくても、よれよれでも、恥ずかしがることはない、前を向いて、堂々としていればいい。

・人が輝いて生きることのできる社会
http://www.gpc-gifu.or.jp/chousa/infomag/gifu/100/5-matsumoto.html

1) 非線形非平衡系システムの自己形成のための生理的欲求と関係欲求の充足。
2) 自己増殖系であろうとすることから、進化が進み性分離が起こった後の動物では性欲求の充足。

生物は、これらの3つの基本欲求の充足に向けて行動規範を作り、行動する存在であると言えよう。

例えば、風景をよく覚えようとするなら、その景色を百回眺めるより一回スケッチする方がよく覚えられるのは、脳の学習戦略が出力依存であるためである。ボケの防止には、まず日常の生活の中で積極的に行動し、会話し、考え、感情を豊かに表現することである。

人本来の目的が高きに向かって成長することであるから、成長にあるプロセス自体が重要なのであって、そのプロセスの中に喜びが感じられるよう、本来的に創造されているのである。

人の幸福はその人の居る位置 (その人の出来高) ではなく、 高きに向かって進もうと努力するその傾きの度合である。

人が輝いて生きることのできる環境としての社会システムが、まず中心に据えるべきことは、人の評価を出来高評価からプロセス評価にすることであろう。

夢は容易に達せられない人生の目標であり、この実現に向けて取り組んでいる時、人は本来幸せ感があるように創造されている。

この脳の目的 (脳のこころ) にまったく適合せず、むしろ社会慣習に迎合して脳の情報処理の仕組みを獲得するのでは、 人は輝かない。
人は独自の夢を自分で設定し、その実現をめざして挑戦し生きることで輝く。

「あなたが何ができる、何を成したかではなく、あなたがあなたであるだけで素晴らしい」 と他人から受容され、あるいは自分で自分を受容することができれば、脳活性が上がり快な感情も得て、苦しく困難な状況に立ち向かうことができる。「愛は脳 を活性化する」 という由縁である。

2012年5月3日木曜日

行動者は常に非良心的である

※mixi拙日記2008年08月09日のコピペです。(失われた記憶を求めてPJの一環)

偉大な先人たちは、複雑で多面で豊かな現実を見抜いていたんですね。最初にあるのは、言葉(頭で考えたこと)ではなく、行動(経験に裏打ちされた身体が感じること)なのだな!(と、行動しない男が頭で考えているww)。


()ハイエク 知識社会の自由主義
ハイエクは、人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をすると考えた。http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/576a99c4b2f469a8109621f8263eba27

()人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものであるか」ではなく、「何ごとをなすかに」によって決定される。(中略)人間は行動を通じて何かを作り出し、その創作物が、その作り手自身が何ものかであるかを規定し返す。生産関係の中で「作り出したもの」を媒介にして、人間は己の本質を見て取る、というのがマルクスの人間観の基本です。(『寝ながら学べる構造主義』P27、某マイミクさんから頂いたthx!)

()ゲーテは、『そもそも植物とはなんぞや』『光とはなんぞや』などとは考えない。具体的に、種から芽が出て葉が成長していく植物のメタモルフォーゼ(変態)を、自分でスケッチしたりする。頭の中で考えるのではなく、実際に体を動かして調べるのだ。http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/zayuu-no-Goethe.html

()初めに言葉があったのであろうか。いや、ゲーテが見たように、初めに行為があったのだ。
http://ghoti-sousama.blogspot.jp/2012/04/blog-post_28.html

()ゲーテは、なんといっても行動することをとても大切にした人です。いかにして人は自分自身を知ることができるか。観察によってではなく、行為によってである。汝の義務をなさんと務めよ。そうすれば自分の性能がすぐわかる (←リンク切れ)


()しかし主観の真理に固執して,それと両立しない既成の人倫的な慣習や伝統的文化を破壊するのは,ヘーゲルに言わせれば,特殊の立場に固執するので「悪」なのです。(←リンク切れ)

()形式論理学において、Aであるものは、Aでしかない。A=Aだ。A=Aである場合、A≠Aではありえない。 ところが、ヘーゲルは、これは現実の豊かさをとらえるには無理がある、限界があると感じ、弁証法論理学をうちたてた。A=Aであると同時にA≠Aでもありうる、と考えたのだ。 自然や社会や人間精神は、つまり事物は、一面的なものではない。 多面的で全面的なものだ。http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hegel-daironri.html

()「理性は……悟性の固執する特殊的な規定(たとえば定義をあたえて、他のものとの境界をきっちり区別するような人間精神のありよう。「Aとは○○であって、××ではない」など、事物に、たった一つの「規定」をあたえる精神)を否定するわけですが、たんに否定するだけでなく、それをもっと大きなもの、普遍的なもののなかにすくいだし、とらえなおす、というわけです。(←リンク切れ)

現代物理学は、ニュートン力学を否定しますが、それよりすすんだ理論の一モメントにおとしているのとおなじことです。……『普遍のなかに特殊を把握する』とは、特殊的なものを普遍的なものの一つのケースとしてとらえる、ということです。http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hegel-daironri.html

()悟性(知性)intellectusと理性ratioの序列http://essentia.exblog.jp/176812/

()「人間は遺伝によって決まる動物に過ぎない」とか、「人間は環境によって決まる動物に過ぎない」という血と土を絶対視するホムンクリスムス(人造人間合成術)がナチズムの根底にあったとする。http://d.hatena.ne.jp/dzogchen/20050109

(関連)コウモリであるとはどのようなことか 波長と赤の関係は、相関であって因果ではない
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=890850114&owner_id=3300442
(関連)この世界について最も理解できないことは、それが理解できるということである
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=879429656&owner_id=3300442