2012年5月3日木曜日

行動者は常に非良心的である

※mixi拙日記2008年08月09日のコピペです。(失われた記憶を求めてPJの一環)

偉大な先人たちは、複雑で多面で豊かな現実を見抜いていたんですね。最初にあるのは、言葉(頭で考えたこと)ではなく、行動(経験に裏打ちされた身体が感じること)なのだな!(と、行動しない男が頭で考えているww)。


()ハイエク 知識社会の自由主義
ハイエクは、人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的とはいえない)行動をすると考えた。http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/576a99c4b2f469a8109621f8263eba27

()人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものであるか」ではなく、「何ごとをなすかに」によって決定される。(中略)人間は行動を通じて何かを作り出し、その創作物が、その作り手自身が何ものかであるかを規定し返す。生産関係の中で「作り出したもの」を媒介にして、人間は己の本質を見て取る、というのがマルクスの人間観の基本です。(『寝ながら学べる構造主義』P27、某マイミクさんから頂いたthx!)

()ゲーテは、『そもそも植物とはなんぞや』『光とはなんぞや』などとは考えない。具体的に、種から芽が出て葉が成長していく植物のメタモルフォーゼ(変態)を、自分でスケッチしたりする。頭の中で考えるのではなく、実際に体を動かして調べるのだ。http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/zayuu-no-Goethe.html

()初めに言葉があったのであろうか。いや、ゲーテが見たように、初めに行為があったのだ。
http://ghoti-sousama.blogspot.jp/2012/04/blog-post_28.html

()ゲーテは、なんといっても行動することをとても大切にした人です。いかにして人は自分自身を知ることができるか。観察によってではなく、行為によってである。汝の義務をなさんと務めよ。そうすれば自分の性能がすぐわかる (←リンク切れ)


()しかし主観の真理に固執して,それと両立しない既成の人倫的な慣習や伝統的文化を破壊するのは,ヘーゲルに言わせれば,特殊の立場に固執するので「悪」なのです。(←リンク切れ)

()形式論理学において、Aであるものは、Aでしかない。A=Aだ。A=Aである場合、A≠Aではありえない。 ところが、ヘーゲルは、これは現実の豊かさをとらえるには無理がある、限界があると感じ、弁証法論理学をうちたてた。A=Aであると同時にA≠Aでもありうる、と考えたのだ。 自然や社会や人間精神は、つまり事物は、一面的なものではない。 多面的で全面的なものだ。http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hegel-daironri.html

()「理性は……悟性の固執する特殊的な規定(たとえば定義をあたえて、他のものとの境界をきっちり区別するような人間精神のありよう。「Aとは○○であって、××ではない」など、事物に、たった一つの「規定」をあたえる精神)を否定するわけですが、たんに否定するだけでなく、それをもっと大きなもの、普遍的なもののなかにすくいだし、とらえなおす、というわけです。(←リンク切れ)

現代物理学は、ニュートン力学を否定しますが、それよりすすんだ理論の一モメントにおとしているのとおなじことです。……『普遍のなかに特殊を把握する』とは、特殊的なものを普遍的なものの一つのケースとしてとらえる、ということです。http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hegel-daironri.html

()悟性(知性)intellectusと理性ratioの序列http://essentia.exblog.jp/176812/

()「人間は遺伝によって決まる動物に過ぎない」とか、「人間は環境によって決まる動物に過ぎない」という血と土を絶対視するホムンクリスムス(人造人間合成術)がナチズムの根底にあったとする。http://d.hatena.ne.jp/dzogchen/20050109

(関連)コウモリであるとはどのようなことか 波長と赤の関係は、相関であって因果ではない
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=890850114&owner_id=3300442
(関連)この世界について最も理解できないことは、それが理解できるということである
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=879429656&owner_id=3300442

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