・神経密度で並べると「①視覚 ②聴覚 ③味覚 ④嗅覚 ⑤触覚」の順
・人は豊かさと共に目、耳の満足から舌に移り最後は「匂いや肌触り」に移る
・視覚や聴覚を満足させる商品は大量生産が可能である(テレビや音楽等)
・味覚、嗅覚、触覚はコピーをして大量につくるには難しい
・特に「匂いや肌触り」にこだわるようになると「本物志向」になる
・匂いが一番本能に直通する、匂いをかぐとすぐに寄ってくる(鰻屋商法)
・上記の法則から相手の理性を無くすには
①単調なリズムの繰り返し②アルコール③セックス・・・で攻める
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言葉は感性(感覚や感情)や理性の一つのかたち(結晶)、手振りや身振りや声振りをより洗練、精緻化したもの。混沌より秩序を好む脳の性質なのだ(と思う)。絵画が視覚の言葉なら音楽は聴覚の言葉。ref→http://
羊を数えるというのは素朴な感情としてなんとなく理解できます。(数の起源。同じもの似たものがたくさんない世界だったら数えようという気持ちな んか起きなかっただろう。単位性をもった同じ種類のものがたくさんあるのが生物の特徴。生物だから同じものが次々に再生産できる。 →http://
が(というともはや吉幾三http://
不 均質なもの変わってしまうものすなわち感性的(感覚、分割できない、アナログ、ヒューリスティック、直感、暗黙知)なものを、均質なもの変わらないものす なわち理性的(言葉、分割できる、デジタル、ロジック、論理、形式知)なもので置き換えたい、そういった脳の性質があるのだ(と思う)。あいまいなものを ハッキリさせたい、不確実なものを確実なものにしたい、謎を謎のままにして放っておけない、といった欲望(不安)があるのだ(と思う)。
分かる、知る、にも二通りあって、
(1)パッと分かるという方法と(2)順を追って分かる方法がある。
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『数量化革命』(A・W・クロスビー) P024 数量化と視覚化 - 新しい思考様式
ブリューゲルの『節制』は、1560年当時の西ヨーロッパの都市住民の心をとらえた事物を、いわばルネサンスの夢を寄せ集めた花香のような作品で ある。(中略)そのテーマとは、秩序を求める切実な欲求である。『節制』の登場人物の多くはなんらかの形で、現実世界の素材を均質な単位の集合体として、 すなわち数量として、視覚的に表現する作業に従事している。
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『数量化革命』(A・W・クロスビー) P026 プラトンとアリストテレス - 古代の思考様式
プラトンとアリストテレスは今日の私たちより、人間の理性を尊重していた。だが、人間の五感については、自然の事物を正確に計量しうるものではな いとみなしていた。それゆえ、プラトンはこう述べている。すなわち、魂が五感を通じて何かを考察する場合には、「魂は肉体によって生成界に引き込まれ、進 むべき道を見失って混乱し、はてはめまいをおぼえる」と。(中略)
私たちは、二人のギリシャの哲人が想定していなかったカテゴリーが存在することを確信している。それは、合理的に計量できる程度に均質で、その結 果に基づいて平均値や中間値を計算できる事物というカテゴリーである。計量する際の人間の知覚は信頼できるのかという疑問に対しては、力織機や宇宙船や保 険統計表など、人間の知覚に対する信頼に基づいて人類が達成した数多の業績を指摘しよう。(中略)
人類がおさめた成功は偶然の所産に過ぎなかったのかもしれない--人間はしばしばこのよにして、つまり、うまくいくか否かという基準によって、おのれの能力を評価している。プラトンとアリストテレスほどの聡明な哲学者が、数量的に把握できる事物というカテゴリーの採用に逡巡したのは、なぜなのだろうか?(中略)
アリストテレスはこう述べている。すなわち、数学者はさまざまな次元を計量するに先立って、「あらゆる感覚的な性質を、たとえば重さと軽さとか、硬さとその反対の性質とか、さらに熱さと冷たさとか、その他の感覚的な反対的諸性質を剥ぎ捨てる」。(中略)
現代の人々は、重さや硬さや温度という性質も「その他の反対的諸性質(ghoti>善悪とか二項対立で捉えられる性質を指すと思われる)」 も、数量的に把握できると主張するだろう。こうした主張は、これらの性質そのものからしても、人間の精神に特有の性質からしても、絶対的に正しいとは言え ない。児童心理学者によれば、人間には独立して存在する個体を(クッキーが三つ、ボールが六個、豚が八頭というように)数える能力が先天的に備わっている ことが、幼児期においてすら認められるという。
ところが、重さや硬さという類の性質は、前述したように独立した量としては認識されない。これらは状態であって、独立して存在するものの集合体で はないうえに、しばしば流動的に変化する。それゆえ、これらの性質をあるがままの状態で数えることは不可能である。まず心の目で観察して、なんらかのルー ルに基づいて数量化し、しかる後にその量を数えるという手順を踏まなくてはならない。
こうした操作は、長さをはかる場合には容易に実行できる。(中略)だが、硬さや熱さ、速度や加速度となると--いったい、どうやって数量化すれば よいのだろうか?(中略)たとえば、14世紀のオックスフォード大学マートン・カレッジの学者たちは、ものの大きさだけでなく運動や光、熱さや色といった とらえどころのない性質も計量する価値があると考えるにいたるや、その考えをおしすすめ、さらに飛躍して、確実さや徳や優美さといった性質まで数量化しよ うと試みた。
たしかに、温度計が発明される以前に熱さを計量する方法を考え出せるのであれば、確実さや徳や優美さを数量化の対象から除外しなくてはならない理由はないだろう。
■関連リンク#朝の散歩 プラトンは、物質世界は「常になるもの[生成・消滅するもの]であって、あるもの[実在するもの]ではない」ゆえに、物質世界には背を向けて、「常にあるものであって、けっして生成・消滅しないもの」をめざすようにと『数量化革命』【画像】https://t.co/iIKdEGsY— ghoti (@ghoti_sousama) 2013年1月20日
・「味覚センサ」都甲・林 研究室
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・五感センサ(目次) -【クローズアップ・サイト】センサ - Tech-On!
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・東原和成のホームページ 匂いの研究
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